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仏教

世界を知る

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 様々な人達との会話の中で、人の意見をちゃんと聞いているかと、私はまだまだ聞いていることが少ないことが分かりました。
 その際にどのような事を相手が全て言う前に口を出しているのかというと、自分の狭い考えで押し付けをしているのです。
 「自分の庭の花が赤いからといって、他人の庭の花も赤いと決め付けてはいけない。」とある人が言っていたのを思い出します。つまりは、自分の小さな考えが全てで、これこそが正しいことだとと錯覚し、他人にまで自分の意見を押し付けてはいけないという意味です。これを聞いたとき、私には本当に痛い言葉だと思いました。なぜならば、私の小さい知識を押し付けている事があると大いに思うところがあるからです。
 最近私の読んでいる本にこのようなことが書かれてありました。


 ヴィヴェーカーナンダは、近代インドの産んだすぐれた哲人である。深い叡智と豊かな信仰と強靭な実践力をそなえた天才的な人物であったが、わずか三十九歳で没した。岡倉天心は、仏教学者織田得能とともに、ヴィヴェーカーナンダを日本に招致しようとして、わざわざインドに出かけたが、そのときすでにかれの健康はそこなわれていたために、その申し出に応ずることができなかった。かれが三十歳のとき、シカゴの世界宗教大会に出席して、つぎのような講演を試みている。それはわれわれにもなじみ深い井のなかの蛙の話である。
 一匹の蛙Aが井のなかに生まれ、そこでそだって長いあいだ住んでいた。ある日、海に住んでいた他の蛙Bがやってきて、その井のなかへ落ちた。
 A「君はどこからきた。」
 B「海から。」
 A「海はどれくらいの大きさか。この井と同じ位か。」
 B「こんなせまい井と海とが、どうしてくらべられよう。」
 A「この井より大きいところがあるはずがない。このうそつきめ、でていけ。」
 わたしはヒンズー教徒である。わたしはわたしの小さな井のなかに住み、この井が全世界だと思っている。キリスト教徒も、イスラム教徒も、仏教徒も、それぞれ同じ心境であろう。われわれは、互いに語りあって、より広大な宗教の大海のあることを知らねばならぬ。

 ヴィヴェーカーナンダは、この講演のなかで、それぞれの宗教の世界をそれぞれの井にたとえている。この譬えをかりて説くならば、同じようにわれわれは、それぞれの自我観念という井のなかに住んでいるということができよう。そしてこの自我という井の住み家を唯一の世界だと思っている。(玉城康四郎著「永遠の世界観 華厳経」)


 これは宗教と書いていますが、とくに宗教に限定しなくても、人の考えといった視点に置き換えても問題がないように思います。お恥ずかしい限りですが、私は自分の狭い考えにとらわれて、人の考えを聞こうともせず、一方的に意見を押し付ける、本当に私自身が井の中の蛙に他ならないと痛感させられました。人の考えを聞く前からその人の言わんとしていることが完璧に分かっているという前提で自分の意見を述べるのは問題がありませんが、残念なことですが私にはそれを実践することができません。だからこそ、人の言う事をちゃんと聞いて、相手が何を考えているのかをちゃんと考えるようにして、自分の狭い考えのみで判断するのではなく、相手と自分との双方が喜ぶ言葉を言えるようにしなければならないのです。


 私はまだまだ未熟者で、間違いも多いし人の話を聞かずに意見を押し付けることもあるでしょうが、いずれはもっと広い視野で物事を判断し、正しい(互いに利益になる)言葉を言えるよう努力していかなければなりません。井の中で自分の考えのみで喋っているだけの蛙ではなく、全ての人の話をちゃんと聞いて世界はとてつもなく広いということを知るために・・・。
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