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仏教解説

94 仏教とはなにか -仏教思想史からみた部派仏教- ⑤

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 仏教の基本思想である「無常」は、あらゆるもの(ただし無為法は除く)をたえず生滅変化してやまない流動としてとらえ、連続とみえる業も一つ一つの行為の非連続をさらします。それはたとえば川の流れに似ており、川があるといって、いちおう川の存在を認めるとしても、常にそこに水が流れていることの表現なのであり、また流れる水は一瞬たりとも同じ水ではありません。ここにはいわゆる有と時との問題がひそんでいます。

 まず、インド仏教の時の術語を示します。一年は一ヴァルシャ、それを十二等分した一ヶ月は一マーサ、それを三十等分した一日は一アホーラートラ、それを三十等分した四十八分は一ムフールタ、それを三十等分した九十六秒は一ラヴァ、それを六十等分した一.六秒は一タトクシャナ、それを百二十等分した七十五分の一秒(〇.〇一三・・・・・秒)は一クシャナと呼びます。また時の延長もあり、最大の単位をカルパ(劫:ごう)といい、それは想像を絶するほど長いです。

 さて、先に掲げた最短単位のクシャナは刹那と音写されます。そして法(ダルマ)のうちの有為法(ういほう:つくられたもの)は、一刹那に滅するといい、その生と滅との中間の一刹那だけその法がとどまっているようにうつると説きます。このとどまるありかたをスティティと名づけ、住(じゅう)と漢訳します。

 初期仏教では、以上の生と住と滅との三つを立てて、これを「有為の三相」(相はすがたという意味。言語はラッカ、ラクシャナ)と呼び、それは二~三世紀の大乗仏教のナーガールジュナの中論にも採用されています。しかし「倶舎論」は、生-住-異-滅の四相をあげます。つまり、生は生ずること、住はとどまること、異は変化すること、滅は滅びることをいい、もの(有為法)は一刹那に生じ、一刹那だけ住し、一刹那に異し(変わり)、一刹那に滅すると説きます。

 このありかたは映画のフィルムに喩えられます。フィルムの一コマには静止像があり、たとえば最初に何も映っていない一コマ、次に左端に人が立つ一コマ、次にそれからわずか右寄りにその人が立つ一コマ、そのように少しずつ右に寄る一コマが続いてから、右端にその人が立つ一コマ、最後に何も映っていない一コマがあります。このフィルムをある一定以上の速度、たとえば三十ミリフィルムの映画は一秒間に二十四コマ、八ミリフィルムは十六コマ、またはそれ以上の速度で映し出すと、その画像の中で、その人はまず左にあらわれ、右に動いてゆき、最後に右に消えるように見えます。

 またこれに様々の操作を加えれば、いわゆるスローモーションや高速度の映像となります。このことは現在のテレビなどでたえずみられます。*


*三枝充悳著 「仏教入門」
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