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仏教解説

59 仏教とはなにか -西暦紀元前後- ①

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 西暦紀元を中心として、その前後百年余りの間にアジアの西部に大きな民族移動が行われました。この移動は西北インドにも影響を及ぼし、更にまた仏教の運命にも関係してきます。

 遊牧民の月氏(げっし)は長く甘肅省(かんしゅくしょう:中国北西部にある省級行政区)の西部に住んでいましたが、紀元前百七十年頃同じく遊牧民である匈奴(きょうど)に追われて西方に移動しました。その数は五十万から百万と推定されます。月氏族は新彊省(しんきょうしょう:現在の新彊ウイグル自治区に設置された行政機関)の北西部を通過し、トルケスタン(トルキスタン)に入り、イリ河流域の烏孫(うそん)族を退け、更に西に進んでジャクサルテル(シルダリア)河の北岸のサカ族(塞種:スキタイ人)を追い払いました。サカ族は追われて南方に移住し、その中の一部はイラン高原に定住し、また一部は次第に西北インドに侵入し、パンジャーブ地方に居をかまえました。

 ところが匈奴は烏孫を助けて再び月氏を攻めたので、月氏は更に西に移動し、オクスス(アムダリア)河流域に至りました。ここはアレキサンドロス大王以来のギリシア植民地があったパクトリアの土地でしたが、月氏はここを征服してオクスス北岸のソグディアナ地方に定住しました。次第に遊牧の習慣を捨て、ついには定着民として生活するようになりました。

 月氏ははじめ五つの勢力に分裂していましたが、紀元後四十年頃、クシャーナ部族の首領(後のカドピセス一世)が、月氏族全体を統一して王と称しました。カドピセス一世は月氏をひきいてヒンドゥクッシュ山脈を越え、アフガニスタンからパンジャーブ北部を征服し、数世紀依頼そこに根を張っていたギリシアやパルティアの系統の勢力を駆逐し、ついには西北インドの主権を握るに至りました。

 その子カドピセス二世もまた父の遺業を継ぎ、北インドの領土を拡張し、その勢力はガンジス河流域にも及び、ベナレスまでも支配したといいます。この王は兵七万を動かして漢と戦いましたが、班超(はんちょう:中国後漢の軍人)に敗れました。漢の勢力はこの頃から西域地方(シナ・トルケスタン)に及びますが、月氏は西域とインドとの両方に関係しているので、中国とインドとの文化の交流、特に仏教の伝える上に重要な意味を持ってきます。

 月氏は、また陸路ローマとの交易を開き、絹・香料・宝石・染料などを売ってローマの黄金を獲得しました。月氏王はこれを用いて金貨を鋳造しましたが、当時南インドのアンドラ王国も、海路による海外貿易において月氏の貨幣を使用しました。*

*渡辺照宏著 「仏教のあゆみ」
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