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仏教解説

55 仏教とはなにか -アショーカ王の後- ②

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 プシヤミトラ王はその晩年(西暦前百五十五年~百五十三年頃)に西北インドから手痛い攻撃を受けました。それはバクトリア王朝の一族であるギリシア人メナンドロス王で、この王はアレキサンドロス大王の遺業を完成しようという大望を抱き、インダス河口地方を征服し、順次に勢力を広げ、ついにパータリプトラを脅かすに至りましたが、激しい戦闘の後ようやく撃退されました。これによってギリシア人によるインド本土制服の歴史には終止符が打たれることになりますが、メナンドロス王はなお何年かにわたって西インド地方を領有しました。その統治は非常に評判がよく、死後も人民に惜しまれたといわれています。

 ところが面白いことには、このメナンドロス王こそは仏教に因縁が深いといわれている人であって、彼がプシヤミトラを攻撃したのは仏教破壊の罪を責めたのだという説は、少々事実とは異なりますが、とにかく仏教嫌いのインド人の王と仏教びいきのギリシア人が衝突したというのは大いに面白いところです。有名なギリシアの伝記作家プルタルコスの記述によってみても、メナンドロスの死後、インドの諸の都市はその遺骨の分配を受け、そのために各都市に塔を建てたというのですから、ブッダなみの扱いを受けたわけです。その上メナンドロスの発行した金貨の中には仏教の法輪と認められるものもあります。

 しかしそれよりももっと重要なことには、このメナンドロスと仏教僧侶ナーガセーナ(那先比丘:なせんびく)とその問答を記した書物がパーリ語と漢訳とで現存しています。メナンドロスはパーリ語でミリンダと記されていて、その書物には「ミリンダ王の問い」(ミリンダ・パンハ)という題名がついています。この書物によると、仏教に興味を抱いたミリンダ王がナーガセーナ長老に色々と質問し、全ての問いに対して納得のいく説明を受けたので、ついには仏教に帰依することとなります。きわめて平易に多くの比喩を用いて仏教の教理を説明してあるので、当時も広く読まれていたものらしく、現在では英語、ドイツ語などの翻訳によって西洋でもよく読まれています。そのパーリ語の文体は古風で優雅な風格があり、他の古い経典と並べても区別がつかないくらいです。この書物は大体西暦元頃の作品と認められています。

 「ミリンダ王の問い」の教理的の内容は、原始仏教の経典とあまり違いはありません。ただ、ブッダへの信仰を強調したのは一つの重要な特色です。ミリンダ王は問います、「あなた方僧侶の話によると、人が生きている間悪いことをしても、死ぬ間際になってブッダを念ずるならば必ず天上に生まれるというが、私には信ぜられない」ナーガセーナは逆に問うていうには、「小石を水の上に置けばその小石は浮くであろうか、沈むであろうか」ミリンダ王はいう「沈むにきまっている」ナーガセーナはいう「それなら百個の大石を船に乗せたら船は沈むであろうか」ミリンダ王はいう「沈まない」そこでナーガセーナがいうには、「船に乗せた百個の大石は船のおかげによって沈まないのである。人も前に悪いことをしても一度だけブッダを念ずるならば地獄には行かず天上に生まれる。小石が沈むと同じように仏教を知らないものは死後地獄におちるのである」*

*渡辺照宏著 「仏教のあゆみ」
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