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日常

優しさとは何か

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 「優しさ」というのは一体何かというのを以前からよく考えさせられることがたくさん出てきております。

 例えば、近親者が悪いことをした時に「あなたは悪くない。人(生贄)のせいにすればいい」というのは「優しさ」でしょうか。私の考えでは、ただ自らが行った責任を人に転嫁しているだけだと思います。

 私はこの数年、仏教や哲学の本を読んでおります。その中で先生方は、自らの行った事の責任は自らがとるものであり、もし人が悪事をしていた場合は自らを戒め、善い事をしていた場合はその人を見本とするのが大事であると書いておられます。また、本当の友(親友・盟友)であれば、間違ったことを指摘し、正しい道へ戻すべきであるとも書かれております。

 私達は子供時分の頃、よく両親から注意されたのことは記憶にあるでしょう。その頃は「鬱陶しい」と思い、腹を立てていたこともあったでしょう。しかし、その注意された内容をいま思い返してみるとどうでしょうか。人間社会で生きていくにおいて、間違っている点を指摘されていたということは容易に理解できます。

 純粋に他人が間違っていることを注意ができる人はどれほどいらっしゃるでしょうか。そこまで大勢の人はできないかと思います。なぜなら、「自分と関係がないから、その人がどう思われようが構わない」、また「注意したら恨んできたり、嫌がらせをしてきたりする」と考えるからです。それほど他人を注意するというのは難しいものなのです。

 では、近親者ではどうでしょうか。なぜ両親が私達に対して注意をしてきたのかという答えは簡単で、「恨まれようが、腹を立たせようが、大人になった時に本人が困らないようにしなければならないし、他人に迷惑をかけるような子にしてはいけない」という思いがあるからです。

 溺愛(盲目的に愛すること)という言葉がありますが、これはよろしくありません。ただ甘やかすだけで、問題があっても注意せずに、子供の言う事を絶対的に信用します。さて、他人に迷惑をかけない、または悪い事を一切しない子供は世の中でどれほどいるのでしょうか。私事ですが、私は子供時分の頃、自由奔放にしていたので、たくさんの人に迷惑をおかけし、その都度注意されていた記憶があります。そのおかげで、善と悪の区別が多少なりとも理解できるようになったと思いますし、昔と比べれば幾分かはマシになっているのではないかと思います。しかし、注意されない状態で育てられた人は、他人の迷惑など一切考えず、自らの利益を最優先し、利用できるものは家族であろうと利用するというとんでもない人間へとなっていきます。

 これは何も「優しくしてはいけない」と言っているわけではありません。正しいことはよく褒めてあげ、間違っていることを行った時にはちゃんと注意をしてあげる、つまり「優しい優しさ」と「厳しい優しさ」の両方を、その場に応じて正しい対応をしていくことが非常に肝要です。


 近親者はもちろんですが、近しい人が間違ったことをしていたら、注意をしてあげることが本当の「優しさ」です。これからも私が気づいたことは注意していこうと思います。しかし私はまだまだ若輩者で迷惑をお掛けすることも多々ございます。その際にはぜひご指導くださいませ。
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