FC2ブログ

仏教解説

47 仏教とはなにか -アショーカ王- ⑤

 ←46 仏教とはなにか -アショーカ王- ④ →48 仏教とはなにか -アショーカ王- ⑥
 アショーカ王の英知もさることながら、私たちは、王の当時まで格別な有力者の支持もなく、二百年もの間忠実に守られてきた仏教の勢力の根強さにも感心しなければなりません。チャンドラグプタの建設した首都のパータリプトラにはおそらく仏教の入り込む余地はありませんでした。少なくとも、首都の有力な宗教勢力とはなり得なかったでしょう。しかし、他の宗教の場合と同じように、地方では、一旦根をおろした仏教は根強く保持された後も、仏教を活発に発展させていったと思われます。他にもアヨードャー、またアショーカ王が青年時代に駐在していたウッジャイン、その後の発展状態から推測すれば、当時すでに仏教が行われていたと考えられます。もしウッジャインで仏教が行われていたとすれば、文献に記されている通り、その土地での青春のロマンスが事実であるならば、カリンガの惨禍の後に心を痛めたアショーカが、心の拠り所として仏教を思い出したことは自然ののように思われます。今これらの事が正しいと証明する資料はありませんが、アショーカ以前に、民衆の宗教としての仏教が、ガンジス河流域を中心とし、交通の便に従って西方へも延びていたと推定して間違いありません。仏教の他にジャイナ教(ジナ教)とアージヴァカ(苦行者の一派)の二宗教も、民間主教として仏教と相並んで当時行われていました。この二派も、後にアショーカ王の寛容な保護を受けるのですが、王が自分の宗教として、とくに仏教を選んだことは、何かそこに特殊な理由か事情があったと思われます。

 アショーカ王は、仏教に帰依して始めの二年半の間は、在家信者(ウパーサカ)にすぎず、格別に努力をすることはありませんでしたが、その後は、サンガ(教団)の一員として熱心な宣教を行い、またみずから仏跡参拝に出ました。パータリプトラを出て北に向かい、ヒマラヤの近くを西に曲がり、ルンビニーのブッダ誕生の地を参拝しました。(その参拝を記念するために建てられた石柱の、上部にあったといわれる馬の像は失われてしまってはいるものの、石柱は今日も存していて碑文の文字もはっきり見えます。その簡潔な文章はブッダに対する王の尊敬の念を端的に表現しています)さらに、王はここからカピラヴァストゥ(カピラヴァッツ)を経て、ベナレスに近いサルナート(サールナート)に参拝しました。ここはブッダが五人の僧のためにはじめて説教をした鹿野苑(ろくやおん)の跡です。次にブッダが好んで滞在したサーヴァッティー(シュラーヴァスティー:舎衛城)、成道の地ガヤー(ブッダガヤ)、入滅の地クシナガラを参拝しました。すべてこれらの聖地に寄付をし、記念碑を建てることを忘れませんでした。(ルンビニー〈生誕〉・ブッダガヤ〈成道〉・サールナート〈初転法輪〉・クシナガラ〈入滅〉は仏教の四大聖地)

 法勅は特殊の場合を除いては、あえて仏教ということを表面に出してうたってはいません。しかし、その中心思想は「法」(ダルマ)ということにあります。

 では法とは何でしょうか。アショーカの法勅の言葉では「悪行を減じ、善行を増し、慈愛、施与、信実、純潔なること」であると言っています。もっと具体的に言うと「動物を殺さないこと、父母に従順なこと、友人、知己、親戚、バラモン、サマナに対し、惜しげもなく与えること、召使いや奴隷にいたるまで、親切にしてやること」を実行しなければなりません。これらは当時の社会事情を考えてみると、非常に驚くべき一大宣言であったと言うほどの出来事でした。

 宗教に対しては非常に寛容な態度をとり、あらゆるバラモンやサマナを尊敬すべきことを臣下に布告すると同時に、王自ら身をもってそれを実行しました。王自身は仏教に帰依しました。しかし、それはどこまでも個人としての選択であって、他の人々にそれを強制するのではありません。先に書いたような法の精神を実行するかぎりにおいて、どの宗教を選ぶのもその人の自由です。しかし、自分の宗教を誉めるために他の宗教を謗るようなことをしてはいけません。むしろ、他の宗教のためだからといって動物の血を流して供犠をささげることはよろしくありません。(この点は仏教およびジャイナ教がバラモン教と異なるもっとも顕著な例です。ヨーロッパでも、キリスト教が普及する以前は、色んなところで動物の供犠が行われていました)

 アショーカ王は迷信的な儀式を批判しています。人々は、とりわけ女性達は、病気・結婚・誕生・旅行などといってその都度祭式をしていました。それも悪くはありませんが、大した効果はありません。それよりも効果がずっと大きいのは「法による祭式」、つまりは奴隷や召使を大切にし、師を敬い、動物を愛護し、サマナやバラモンに施与をすることです。

 こういう言葉は、現代の私たちにも、そのままあてはまる教訓ですが、当時としては、よほどの英断であったに違いありません。「法」という言葉や概念は、インドでは古くからあるにはありました。しかし、バラモン教においては、多くの場合に、法は階級(カースト)の観念と結びつき、身分相当の義務を実行することがダルマであると考えられていました。アショーカ王は、これを階級的観念から切り離し、人間主義的な道徳を打ち立てたのでした。この意味でも、アショーカの法勅は、インド倫理思想史上において画期的なものですが、その原動力となった仏教思想の功績も認めなければなりません。*

*渡辺照宏著 「仏教のあゆみ」
スポンサーサイト



もくじ  3kaku_s_L.png 日常
もくじ  3kaku_s_L.png 四国遍路
もくじ  3kaku_s_L.png 結衆
もくじ  3kaku_s_L.png 仏教
もくじ  3kaku_s_L.png 仏教解説
もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 巡礼
【46 仏教とはなにか -アショーカ王- ④】へ  【48 仏教とはなにか -アショーカ王- ⑥】へ

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【46 仏教とはなにか -アショーカ王- ④】へ
  • 【48 仏教とはなにか -アショーカ王- ⑥】へ