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仏教

命を生かす

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 「意(こころ)のある通りに、そのように語(ことば)があり、語のある通りに、そのように行いがある」

 これは古いインドの諺ですが、この諺は私たち人間の行動原理を分析したものです。

 この中でも大体の仏教では意、つまり心に重点を置きます。心で思うということは思考であり、それを言葉や文字に表すということは、他者がいることを想定したことになり、それは思想と呼ばれるものです。これは宮坂宥勝先生が書かれていたものですが、実際に、心の中でどのような事を考えたとしても、それは自身の心の中で考えているのみでしかありません。ただし、この心の中で考えていることが、人間社会において善(悪)であれば、その人の行いがそのまま善(悪)になります。心がある通りに行動しているからです。

 ただし、善い事を考え、発言や行動をしたとしても、全てが善の行為になるとは限りません。十人十色の言葉通り、私たちは一人一人顔や性格が違います。何かしらの行為をする前には、相手の機根に合ったかたちにしなければ、せっかく善いことをしようとしても、かえって反対の事をしてしまうことがあるからです。相手の事をよく観察し、その人に合った行為をしていくのは容易な事ではありませんが、心掛けていきたいものです。


 さて、十善戒という戒律があります。すなわち、殺さず・盗まず・邪淫せず・嘘を言わず・心にもない事を言わず・悪口を言わず・二枚舌を使わず・貪らず・瞋(怒)らず・間違った見解(愚痴:知恵が愚かな病にかかっている状態)をせず、です。
 最初の三つは行い(身)で、次の四つは言葉(語)で、最後の三つは心(意)です。最初の七つを引き起こすのは最後の心で考えた後、現実社会において実行し、それが他者に対して害を与えてしまうものなので、してはいけない行為だと分かっていても、してしまうのも私たち人間の性なのでしょう。だから、最初の心で考える際には、人間社会において善なる行為でなければなりません。

 私たちは誰しもが人間社会の一員です。再度になりますが同じ人間は一人として存在しません。また、私たちは完璧ではありません。だからこそ、お互いに助け合い、自らは人に迷惑をかけないよう努力してゆき、悪なる行為を見た時にはそれを止め善なる道へ誘っていく、このような心掛けがあれば、心は善い方向へと成長してゆき、正しい道を歩むことができます。

 過去に行ってきたことは絶対に消すことはできません。それは、善行でも悪行でもです。そこで、間違いを間違いと思わず、自らの行いを恥じることがない人は、自らがその責任をとらなければなりません。誹謗中傷があったとしても、自らの行った罪の清算をしなければ、さらに問題(悪行)が重なっていきます。善行なら賞讃になりますが、それに驕ることなく精進していかなければなりません。理想でいえば、「誹謗中傷賞讃の中にあって我を見失わず」という言葉の通りにすべきなのですが、言うは易し、行うは難しです。ただ、難しいからといって捨て置くのではなく、少しでもいいから実践していけるよう努力してゆけば理想の人間となっていきます。


 私はまだまだ愚かで人に迷惑をかけてしまうことが多々ございます。それも自己責任ですので、間違ったことであれば都度謝罪していき、私は私なりに真っ直ぐに生きていこうと思います。これこそが、自らの命を生かし、また人の命を生かすことになるのではないでしょうか。精進致します。
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