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仏教解説

43 仏教とはなにか -アショーカ王- ①

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 西暦前二百八十九年にチャンドラグプタの子ヒンドィサーラが帝位につきました。その二十余年にわたる治世には格別重要な事件は記録されていませんでしたが、先代の偉業を継承し、西方のシリアその他との国交を続けていました。

 西暦前二百六十四年にはアショーカがパータリプトラにおいて帝位につきました。

 以前にブッダの入滅を西暦前四百八十年頃と定めておきましたので、アショーカ王の即位との間隔が約二百年程あることになります。これは大体現在の歴史家のほぼ一致した意見なのですが、ここに面倒なことは、中国に伝えられた仏教側の資料が、これまたほとんど一致して、ブッダ入滅とアショーカ王即位とのへだたりを百年(または百年余り)としています。アショーカ王即位については、西方の歴史的資料によって、あまり狂いのないことが断定できるから、これからブッダ入滅の年を逆算すると、大体西暦前三百九十年頃ということになって、先に出たものと百年も差ができることになります。

 このことは、ただ数字だけの問題ではなく、仏教の歴史の理解の上にも重要な影響を及ぼします。もしこの間に百年しか経っていないとすれば、世代にして大体三代位ですので、アショーカ王時代の仏教は幾分原初的な形態の面影を残していると言えましょう。しかし二百年となると、すでに影響は薄くなっていると考えなければならないでしょう。


 中国に伝えられた仏教側の史料は、古いインド起原のものであるには違いありません。それだけに一概に無視することはできないのですが、歴史学者は大体、教団の伝承を単独には史料として信用しないようです。どの教団の伝承でも、元来客観的史実を記録することを第一の目的とするものではありませんし、同じ教団内に伝えられた多くの文献が一致していても、それだけで確実とはいわれないからです。

 今の場合も、百年説を進んで否定するだけの根拠はありませんが、歴史学者は王朝世代の計算から、二百年、あるいは二百七十年の間隔を認めようとします。これ以上短縮すると、アジャータサットゥからチャンドラグプタに至る王の在位期間をいれる余地がなくなってしまいます。

 ここでは、ブッダ入滅の年代に関して、このような問題があったということだけを注意しておくだけにとどめておきます。


 アショーカ王については仏教側の資料が厖大な量があります。中国やチベットの言語で伝えられている資料の他、仏教梵語やパーリ語で書かれたものもありますが、堅実な史料というよりも、伝説に属するものが多いです。

 それら多くの資料によれば、アショーカは幼少の時から非常に狂暴であり、父王もアショーカをもてあまし、故意に危険な敵地に遣わしましたが、予想に反して敵を平定して生還しました。父王の死後、九十九人の兄弟を殺して王位に昇り、その後も横暴のかぎりを尽くし、わざわざ地獄を作って、この中に人民を入れて苦しめたとあります。

 これらの物語が回心以後のアショーカの善行を、一層明確に浮き出して見せるために創作されたものであるということは言うまでもありません。兄弟姉妹が顕在であったことが、他の資料によって確かめられるので、兄弟を殺戮した件が真実ではないということは明らかです。地獄を作ったという説話も広く行われていて、玄奘もその跡という石柱を見たと報告していますが、どの程度の真実さがあるかは疑問が残ります。*

*渡辺照宏著 「仏教のあゆみ」
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