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仏教解説

42 仏教とはなにか -ブッダ入滅後の歴史- ③

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 この時代について、もう一つの重要な文献は、チャンドラグプタ王の政治顧問であるカウティルヤの著書です。カウティルヤは王を助けてマガダ国の王位に昇らせて以来、常によい補佐をしていました。彼は典型的なバラモンで、王を通じてバラモン的な理想を政治、経済、軍事の上に実現することに努めました。

 このように、チャンドラグプタの治世に関しては、二つのきわめて貴重な史料があります。しかし、前者はインドの実情に暗く、また首府以外をあまり見ていない外国人の観察であり、後者はかなり後世の加筆があると言われています。そして、いずれも宗教や思想史などよりも別の、実際的方面に大きな関心を持っています。

 それにしても、私達はこれらの資料から当時の宗教生活について、かなりはっきりした記録を見出すことができます。

 メガステネスがパータリプトラの内外で最もよく観察した宗教家はバラモンでした。インドの古典にも規定してあるように、バラモンの青年達が自分の家を離れ、師の許に住み込んで、困難な修行をしながら、ヴェーダの聖典を学び、そして一人前になると、帰宅して結婚するのを、メガステネスは目の当たりに見ていました。そして、彼自身もバラモンの哲学について学びました。バラモンの他に沙門とよばれる苦行者達がいました。彼らは、托鉢によって生活を立て、多く林間に住んでいましたが、王の相談にあずかることもあり、医薬の調合や、占いや、魔法なども行っていました。バラモンや沙門以外に、哲学的思索に専心する人々もいたと言われています。

 メガステネスやカウティルヤの記録による限り、仏教やジャイナ教はこの時代にどうなっていたかは分かりません。これまでに述べた宗教家のどこかに含まれているのかもしれませんが、確実な事は何も分かりません。バラモン型の帝国建設を理想としたカウティルヤが、仏教のような異端的な宗教を無視したことは当然でしょうが、メガステネスの目に映るような仏教の施設のなかったことから見て、少なくともチャンドラグプタ治世のパータリプトラ付近では、仏教の勢力はあまり有力でなかったのかもしれません。これも当然のことで、この新首都は、ラージャガハやヴェーサーリーなどとは違ってもともと仏教の勢力のなかった所です。

 しかし、もっと重要な理由は恐らく他にあるでしょう。チャンドラグプタがマガダ帝国を創建したのは外国人勢力の一掃が重大な契機をなし、その指導原理は、いうまでもなくインド人の民族的意識でした。バラモンであるカウティルヤをその政治顧問に選んだことも、明らかにその現れでした。仏教は個人意識の強調と意志の絶対自由を基調とします。前にも書いた通り、個人の自由が尊重される都市国家や共和制国家においてこそ、仏教の芽生える可能性がありました。仏教教団においては、ただ人間のみが単位であって、政治や経済や軍事力は何の意味も持ちませんでした。国王といえどもただ一人の人間として、ブッダの教えを乞い求めたのでした。

 今や社会情勢は一変しました。六十万の歩兵、三万の軍馬、九千の軍象の他に、多くの戦車(二輪馬車)を常備軍とし、広大な領土の経営に忙しい新興大帝国の帝王が、薄汚い托鉢僧を顧みる暇がありましょうか。帝国主義、軍国主義がおよそブッダの教えとは縁遠いものである以上、チャンドラグプタ王が仏教をまったく眼中に置かなかったとしても何ら不思議ではありません。しかし、この王の後、四十年に満たない時に、その孫のアショーカ王が深く仏教に帰依し、チャンドラグプタ王の用意したマウルヤ帝国は、あたかも仏教を世界的宗教として発展させるための地盤であったかのような結果となったのは、皮肉な状況になったというべきでしょうか。

 チャンドラグプタ王は、仏教その他の、いわゆる沙門たちを格別優遇しませんでしたが、その代わりに弾圧をした形跡はありません。つまり、彼らはそれぞれの地方において法燈(教え)を伝えていった事と思われます。メガステネスの報告によると、民間信仰も当時盛んに行われていました。山間では、多くシヴァ神をまつり、平野ではヴィシュヌを信仰していました。シヴァ神は、先住民族の信仰していた山の荒神だったそうですが、後にはヴェーダ依頼の暴風雨の神ルドラと同一視されました。

 ヴィシュヌはヴェーダ以来の神格ですが、後には伝説的英雄クリシュナと結びついて、近代インド人にとって、シヴァと並んで最も人気のある神となりました。メガステネスは自分がよく知っているギリシアのディオニュソスやアポロを連想して、この二神格の信仰を興味深く観察したのかもしれません。

 とにかく、このような環境にあって、一方では、新興帝国の重圧を感じ、もう一方では、一般民衆の民間信仰の諸形態とならんで、本来の仏教の純粋性を保持することは、必ずしも簡単ではなかったでしょう。一面においては、古い伝統を維持しようとする保守派の人々の努力が続けられると同時に、他面では新時代の空気を知らず知らず感得し、次の時代の飛躍的活動の準備が段々とできていったことと考えられます。*

*渡辺照宏著 「仏教のあゆみ」
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