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仏教解説

40 仏教とはなにか -ブッダ入滅後の歴史- ①

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 ブッダ入滅後の百年程については、仏教教団について格別の記録はありません。師の遺訓を守る人々が、それぞれの土地で慎ましやかな教団生活を続けていたことでしょう。しかし時が経つに従って、それぞれの土地で、独自の風習が形作られて行ったことは容易に想像できます。ブッダ入滅後百年程経った頃のことと思われる二つの事件が記録されています。

 その第一はヴェーサーリーで起こりました。コーサラ国に住んでいた長老ヤサは、ヴェーサーリーの僧達が戒律を正しく守っていないことを発見し、七百人の権威者をヴェーサーリーに集めて、戒律の個条の再確認を要求し、これに違反する僧達を譴責(けんせき:悪事や過失などをいましめて責めること)しました。その際問題になった十個条は、いずれも僧の日常生活に関するもので、ヴェーサーリーの僧たちは融通のある解釈を好みましたが、アーナンダの正統をもって任ずるヤサたちはどこまでもこれを非法として弾劾(だんがい)したのでした。これを七百人の結集と称しますが、恐らく新しい聖典を編集したわけではないでしょう。

 同じくブッダ入滅後百年あまり経って、マハーデーヴァ(大天)という僧が、マガダ国の首都パータリプトラにあって勢力を有し、邪説を唱えて、正しい仏教を汚したという説法が広く行われています。ブッダ時代のデーヴァダッタと同じく、このマハーデーヴァもまた、種々の汚名が着せられていますが、はたしてどこまで史実として信じていいのかは甚だ疑問です。とにかく、このマハーデーヴァの出現が、仏教教団を上座部と大衆部との二つに大きく分ける直接の原因となったことは確実らしいです。マハーデーヴァに対する誹謗(ひぼう)は、むしろ宗派的反感とみるべきではないでしょうか。

 一百年といえば人間の世代にして三代目であり、初代の人々の記憶はむしろ薄らぎかかってくる時期です。この頃にいたって分派活動が盛んに起こってくるのも自然でしょう。ヴェーサーリーの僧たちや、マハーデーヴァの事件なども、幾つかの類似の事件の典型であるのかも知れません。とにかく、一方には、杓子定規(しゃくしじょうぎ:一つの標準や規則に当て処理しようとすること)ですべての細則を厳密に守ることに必死になっている人々がいて、他方には、小事にこだわらず、仏教の精神を大局の上に生かして行こうと努める人々がいて、それが上座部と大衆部との対立となって現れたのです。大雑把に言い方をすれば、数百年後に小乗と大乗との対立を見るに至ったのは、遠くこの二つの傾向から発していると見ることもできます。

 上座部と大衆部との対立は、前述の例にも見られますように、まず戒律の問題が直接の導火線となりました。しかし、後に段々と表面化するように、教理に関しても、保守派の実在主義的傾向と進歩派の理想主義的傾向との対立は、相当に古い時代までさかのぼるのかも知れません。例えばブッダに関して、保守派は、人間として八十年間生存したブッダ釈尊という点に重点を置き、これを敬慕尊崇(けいぼそんすう:心から尊敬し崇める事)する方向をとるのに対して、理想主義者達はブッダを理想の権化と見て、人間ブッダを通して久遠の理想像を見出そうと努めます。こうした差異は、永い年月を経て、ようやく明確に意識されるようになりますが、前述のような教団の分裂が表面化した時は、すでに思想的にも、ある程度までは分化が行われていたものでしょう。*

*渡辺照宏著 「仏教のあゆみ」

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