仏教解説

37 仏教とはなにか -ブッダを継ぐ人々- ③

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 本来、ブッダの説いた規律にせよ、教義にせよ、その時折に応じて述べられたもので、始めから体系づけられていたものではありませんでした。戒律の条項はやがて確率され、大綱においては疑義の余地はありませんでしたが、細かい点になると、時に疑問が起こらないわけではありません。そこで疑問が起こる度に、その都度ブッダの決断を仰いだのでした。ブッダは入滅に先立って、戒律の細目は廃止してもよいと言いました。ただし、時と所とによって事情が変わってくるであろうから、戒律の細かい点にこだわることは、却って害があると考えられたからでしょう。しかし、マハーカッサパ達、後継者としては、ブッダ在世中の秩序をそのまま保持することが、教団にとって重要な事と考えました。

 元来、ブッダの説法は、聞き手の能力や立場にとって最も適切な表現を用いることに、その特色がありました。ブッダの教説は特定の機会に、特定の聞き手に向けられたものでした。いつも相手を目の前において、もっとも有効な教化を施すのが目的でした。個々の人ではなく、一団の人々を相手にする場合でも、相手の能力や立場を尊重する点においては同じことでした。だからブッダの教説として伝えられるものは、原則として一定の時、一定の所において、一定の聞き手のために説かれた教えでした。

 このようにして説かれたブッダの言葉は、弟子や信者達の口から口へと伝えられて行きました。当時のインドに文字はすでに知られていましたが、一般に宗教や文学は文字に写すことはなく、驚嘆せざるをえないほどの優れた記憶力によって、正確に口から口へと伝えられるというのが習慣でした。ブッダ入滅当時には、すでにそうした形で、数多くの説法が人々の記憶の中で「文献」として構成されていたに違いありません。

 しかし、ブッダの在世には、誰もそうした「文献」を編集しようとは考えてもみませんでした。もし疑問が起これば、直接ブッダに会って確かめることもできたからです。彼らは自分の記憶が正しいかどうかを確かめるために、朋輩(ほうばい:同じ師についている仲間)同士で相談する必要もありませんでした。しかし、今となっては師に遇って問いなおす機会は永遠に失われてしまいました。ここで、朋輩らが記憶しているものを成文化する必要が出てまいりました。

 こうして、ブッダの遺訓を編集するために、会議を召集する提議をしたのはマハーカッサパでした。彼は五百人の有能な比丘を選び、ラージャガハの郊外の七葉窟にて編集会議を開きました。律にはウパーリ、経にはアーナンダが主任に選ばれました。彼らの読誦する本文について、出席者一同が検討し、教団の名において成文化が決定されました。これを第一結集(けつじゅう)といいます。

 現在、南方アジアに行われている仏教の伝承によれば、この第一回結集によって現存の律や経や論が編集されたといいます。しかしそれは少々疑わしく思います。なぜなら、現在パーリ語で伝わっている聖典(南伝大蔵経)は、言語の発達層という点から見ても、現在の形をとるまでには、数百年もしくは一千年の年月を要したものであって、決してすぐにできあがったものではありません。類型的な表現の繰り返しの多い点から見ても、長年の月日をかけて成立したことは明らかです。

 確実に断言できることは、これらパーリ語聖典、および漢訳経典の中に含まれている一小部分、たとえば戒律の基本的条項とか、ブッダの説法のうちの代表的なもの幾つかが、第一回結集で確認されたことです。それが現在の経典のどの部分に相当するかという点については、学者の間に異論が多く、今後の研究によっても、決定的な結論に達することは困難ではないかと思われます。*

*渡辺照宏著 「仏教のあゆみ」
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