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仏教解説

36 仏教とはなにか -ブッダを継ぐ人々- ②

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 ブッダの在世には必要がなく、入滅後まもなく開始されたと思われる信仰形態に遺跡巡礼があります。遺跡の場所は、ブッダの誕生の地ルンビニー、成道(じょうどう)の地ブッダガヤ、初転法輪の地ベナレス(サールナート)、入滅の地クシナーラーに詣(もう)でることです。もっともこれは一般の信者のみではなく、出家して修行に専心する人々にとっても有意義とされていました。それというのは、仏教の道に志す人々は、結局はブッダを模範としてその跡を追っていこうとするものですから、ブッダの遺跡に詣でることは、自分の修行の励みという意味からも、大切な事と考えられていました。この習慣は、中世の中国人僧侶達にも受け継がれ、現在でも日本人を含めて、仏教徒で仏教巡礼を志す人は少なくありません。しかし、他の宗教でも同じように、こうした聖地参拝には御利益があるという思想が伴いがちです。このようにして、ブッダの遺訓を守る教団の地に、通俗信仰の形式による仏教が段々に成長して行くのです。しかし仏像礼拝という習慣を仏教が採用することになるのは、その後百年も経ってからのことです。

 以前にも書かせてもらいましたが、ブッダの後継者は人ではなく教説であり規律でした。この点に教団としての仏教の強みも弱みを含まれていました。何人も他の個人的意思に支配されることがなかったので、純粋な宗教的意欲を損なわれるおそれはありませんでした。その代わり、教団の統制力は弱いものであって、悪意あるものが攪乱を企てることは極めて容易なはずでした。

 もっともブッダ自身、教団の統制者ではありませんでした。ブッダの説いた教えや、定めた規律は教団の基盤ではありましたが、個々の事例の審判や決定は、当該のグループ内で処理すべきものであって、ブッダが高圧的に決裁を下すことは原則としてしませんでした。教団が分裂の危険にされされるような場合でさえ、ブッダは勧告者の立場を越えませんでした。このことは、例えばローマカトリックなどと対蹠的(たいせきてき:正反対)な行き方であって、仏教教団の本来のあり方として注目すべきことです。最後の決定は、特権を持った人の手にあるのではなく、人間に内在する真理にあるという確信が仏教の基調なのです。

 しかし、そうは言うものの、ブッダの在世当時は、原則としてその命に背くものはなかったので、教団の統制は比較的容易でした。しかし、仏教教団は北インドの広い地域に散在していて、中央の機関や横の連絡機関というようなものが無かったので、ブッダの入滅後には、当然分派や分裂が予想されるのでした。

 ブッダの後継者としてマハーカッサパが指名されていたと言われていますが、これは精神的な相続者という意味であって、教団の統治者ということではありません。彼と同じように多くの弟子をひき連れ、または単独で、ブッダから教えられた道を保ち、広めていた人達も少なくありませんでした。

 ブッダの葬儀のすんだ後、マハーカッサパが必要を感じていたのは、ブッダの伝統の保持ということでした。とくに教団の規律の維持は当面の最大の問題でした。経典に記されているところでは、ブッダの入滅の知らせを聞いて多くの弟子達が歎き悲しんでいる時、一人の僧は「今やわれわれの行動を指図する人が亡くなったのであるから、何をしても構わない」と言い放ったそうです。これが果たして事実であるかどうかは別問題としても、マハーカッサパがブッダの遺訓、特に規律に関する原則を成文化(せいぶんか:決められた事柄を文章にして書き表すこと)する必要を、当面の急務と考えたことは、全くもって当然のことでした。*

*渡辺照宏著 「仏教のあゆみ」
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