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仏教解説

29 仏教とはなにか -中期仏教- ⑤

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 (2)出家者はいずれもそれぞれの部派内部にとじこもり、修行と勉学とに精励(せいれい)して、専門家の色彩が一層濃くなりました。彼らに帰依し保護支援したのは、当時の王族や資産者や商工業者たちであり、教団に寺院・窟院・ストゥーパ(仏塔)から精舎や伽藍(サンガーラーマ)など、また土地や財産を寄進しました。

 こうして僧院所属の土地は荘園に等しく、その諸活動は課税を免れ、成員の生活は安定して、出家者はひたすら自己の完成に専念しました。こうした中に、仏教の教学はアビダルマとして栄え、体系の雄大と精緻とが進みます。しかしそれはいよいよ煩雑を加え、エリート専門家の独占に供されることになって、この事情はヨーロッパ中世の教会とスコラ哲学に似ています。

 それに対して、在家信者の活躍があります。すでにブッダの時代以来、在家信者は朝食のお布施などを通じて出家者と日々接触し、その生活を支えました。さらにブッダ入滅時に、その遺体を荼毘(だび)に付したのも、そのあと仏舎利(ぶっしゃり)を八分して記念のストゥーパ(仏塔)を建てたのも。全て各地の在家信者でした。

 ストゥーパは、パーリ語はトゥーパといい、仏や聖者の遺骨や遺品などを埋めたあとに、煉瓦(れんが)や土砂を土饅頭型(どまんじゅうがた)にもりあげたモニュメントの一種で、仏塔と訳されます。塚と訳されることの多いチャイトヤ(チューティヤ)よりも規模が大きいです。その建設は仏教やジャイナ教にみられて、紀元前二世紀以降の数百年間に特に栄えました。

 ストゥーパの最大で見事な例が、インド中央のサーンチーに残っています。それは紀元前二世紀建立の大塔を中心に、やや後代の欄楯(らんじゅん:玉垣もしくは柵のこと)と四方の門とが周辺を巡り、それらにはブッダの前生譚(ジャータカ)や仏伝などを主題とする精密な浮き彫りが全面に施されています。これより少し遅れて、バールフト、ブッダガヤー、ビールサ、アンデール、パータリプトラ、西のタキシラ各地、南のナーガールジュナコンダなどに建てられ、現在までに六十基以上発見されています。以前には、おそらくはるか多数のストゥーパやチャイトヤが建設されたそうです。ただし、後にイスラームの破壊を受けました。それらの一隅の碑が多数知られ、解読も終わって、それらの寄進者や建立目的などもほぼ解明されています。

 ストゥーパは、東南アジアではパゴダとなって石造が多くあります。中国や日本では塔となり、中国では土と木、日本では木造により何層かの屋根をもつ優美な姿で立っています。

 ストゥーパの他に、南部のデカン高原に窟院(レーナ)が開削され、、山深くにあってイスラームの破壊から免れたために、二百以上が現存して、そのうち約七十五パーセントはかつて仏教に属していました。これらは、紀元前二世紀にはじまり、驚くほど精巧なものも少なくなく、とくにアジャンターとエローラとが名高いです。また窟院には礼拝堂と僧院との二種がありました。 ストゥーパも窟院も、建造には多額の費用を要し、無一物の出家者ではなくて、資産豊かな在家信者の寄進によったことが碑文や銘文に刻まれています。なお、寄進の男女の数はほぼ等しいです。さらに付け加えると、インドには古ウパニシャッド以来、仏教の登場以前に輪廻転生(りんねてんしょう)の思想が広く民衆にゆきわたり、死者は七.七日(四十九日)いないに五種または六趣の生命体(サットヴァ、サッタ:衆生、有情)のなにものかに生まれ変わってこの世界に戻ると信じられていて、一般には遺体を火葬のあと川に流してしまって、その後は祀ることはしないのでお墓が設けないので、存在しません。

 ストゥーパの構築のあと、その管理・維持・運営が要求され、それは在家者に委(ゆだ)ねられました。律蔵をみると、パーリ律は仏塔にはまったく触れず、漢訳の律は五種とも、出家者の仏塔供養を禁止して、仏塔関係者と出家教団は明確に区分されました。これは、葬儀に関してはブッダの弟子たちの仕事ではなく、彼らは自らの修行に専念しなければならなかったからです。

 こうして戒律に制約のない自主的な仏塔運営は、在家者の自由な発想により、たとえば一種の祭りが催され、市(いち)なども開かれて、付近の信者や旅にある巡礼者などで賑わったことが推定されて、仏塔経済は繁栄したそうです。やがては運営も専門化して、実態は不明ですが、在家者でもなく、なんらかの部派に属する出家者でもない、一種の非僧非俗の管理者が登場して、特異で強力な活動を展開したと憶測されます。しかし、それをすぐに、たとえば初期大乗仏教に活躍する法師(ほっし:ダルマバーナカ:教えを語る者)に結びつけることは不可能であり、いわばユニークな一種の時代に先駆けた運動を推進したということにとどまります。この後書いていくように、初期大乗仏教では仏塔供養を離れて経典中心へと移行するようになるのです。
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*三枝充悳著 「仏教入門」
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