巡礼

西安を旅して -お大師様並びに玄奘三蔵法師の足跡を辿る- ⑥

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 次の日もありますが、初日と最後の日は移動のみとなりますので、この日が実質中国での最終日です。

 朝食をいただき、最初に行ったところは、西安のシンボルである西門・安定門(城壁)です。ここは高さと幅が十二メートルあり、中から階段をのぼり、上を歩くことができます。ガイドさんの話によると、定期的にここでマラソン大会が行われると言われておりました。

 早速上にあがってみると、横幅はやはり広く、四方を見渡せば景色が非常に綺麗でした。ここから玄奘三蔵法師はインドへ旅立ったと言われています。

 ただし、容易に出発できたのかというとそうではなかったそうです。当時の唐朝は執政が始まったばかりだったので、国がまだ不安定でした。そのような状況だったので、外国に旅行することは禁止されていました。当時の都を管理していた李大亮で、西方の国へ行こうとしている僧侶がいるという話を聞き、禁令を破られることを恐れ、玄奘三蔵法師に遇い、理由を尋ねると「西方へ仏法を求めに行こうと思います」と答えたのですが、長安に帰るように言いました。しかし、恵威法師という方がその事を聞き、大いに喜んで、自らの弟子二名をつかわして、秘密のうちに西方へと赴かせたそうです。(参考資料 玄奘三蔵 大唐大慈恩寺三蔵法師伝)

 玄奘三蔵法師は、もしかしたら捕まるかもしれないし、道半ばで倒れることももちろんあります。そのような緊迫した中でも、ただ求法の為に天竺(インド)に行かれました。私にその覚悟があるのかと問われると、残念ながらございません。それから様々な偉業を行っていかれるのですが、その最初の出発点がここだと考えると、感動せざるをえませんでした。

 同行の方とお話をしながら、そのような事に思いをはせていると、時間がすぐに経ち、次の目的地へ出発致しました。

 次はシルク工場です。中国からインドへ向かう道はシルクロードと呼ばれます。シルクロードの由来としては、西洋へは絹が運ばれ、中国へは羊毛や金・銀やキリスト教(景教)がもたらされました。この絹を運んだ道ということで、シルクロードと名前がつけられました。(ちなみに中国の絹の生産は紀元前三千年から始まったそうです)
絹の生産方法と歴史を説明いただき、その後シルク商品のお買い物を同行の皆様は楽しんでおられました。お買い物が終わりましたらその場を後にし、次の目的地へとまいりました。

 続いては華清池です。ここは玄宗皇帝と楊貴妃の別荘で、わざわざ楊貴妃の為に作られたそうです。

 また、華清池に到着する前に雨が本格的に降ってきました。到着後バスを降りると、気温が大分下がっており、日本では考えられないぐらい寒かったと記憶しています。

 それはさておき、入り口から中に入ると、とにかく広大で、建物がたくさんあり、中でもお風呂が有名らしく、玄宗皇帝や楊貴妃専用のお風呂や、皇帝たちの面倒を見る使用人のお風呂などがあったり、外には楊貴妃が好きだった柘榴の気が何本も植えてありました。

 華清池の敷地内は本当に広大で、建物もたくさんあり、景色も美しく、ただの別荘にしては凄いボリュームのあるところでした。これだけのものを作ることができるほど、当時は皇帝の権力が強かった証です。

 一通り説明を聞き、見学した後、今回最後の目的地である兵馬俑に向かいました。
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