仏教解説

19 仏教とはなにか -ブッダについて- ⑩

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 さて、晩年のブッダにとっての個人的な悲劇は、その故郷のカプラヴァッツがコーサラのパセーナディ王の後継者によって滅ぼされたことでした。経典作者によると、パセーナディ王がシャーキヤ族からめとった妃が、実は下賎の生まれであることが判明し。その妃から生まれたヴィドゥーダバが侮辱を受けて憤慨し、自ら王位に着くと、シャーキヤ族を攻めて滅ぼしたのであるといいます。しかし理由はとにかくとして、従来認められていた小国の自治を覆して、大国が併呑(へいどん:他の勢力を自分の勢力下に入れること)する傾向は、当時ようやく顕著になってきたのであって、このコーサラ王国もまたやがて東方のマガダ国に併呑されるようになるのです。

 ブッダが晩年にラージャガハの近郊に滞在していた時、マガダ国のアジャータサットゥ王は、その大臣ヴァッサカをブッダの許に遣わして、ガンジス河の北岸にいるヴァッジ族を討つ計画について、その意見を仰ぎました。ブッダは直接その問いに堪えず「ヴァッジ族が古来の風習を守り、内部で一致団結している以上は、これを外から敗ることはできないであろう」と預言します。大臣はその意を体して王子に報告しました。

 ブッダはラージャガハを北に向かい、やがてガンジス河の南岸パータリガーマに着きました。その時ヴァッサカとスニーダの二人の大臣は、ヴァッジ族に備えて城砦を構築中でした。これは後にパータリプトラとしてマウルヤ王朝の首都となるのでした。

 ブッダはガンジス河を渡って北に進み、ヴェーサーリーに到着し、しばらくこの地に滞在して弟子や信者たちのために法を説きました。この町の近くの一つの小さい村に一人だけで雨季を過ごしていた時、病気に冒され、まもなく入滅するということを自覚しました。ここから再び弟子たちを伴って北西に進み、パーヴァーの町で、信者の鍛冶屋チュンダから手厚い供養を受けました。その時の料理(猪もしくは茸)を食した後、激しい下痢が起こりました。そこから西北に進んで最後の地であるクシナーラーに向かいました。水が清らかなカクッター河に水浴したブッダは、マルラ族の土地のマンゴーの林に到着し、そこで日本のサーラーの木の根元に身を横たえました。そのまま寝ていただけではなく、弟子たちのために、細々と訓戒を与え続けました。侍者のアーナンダがブッダの葬儀をどうするかと尋ねたのに対して「汝たち出家は修行に専心すべきであって葬儀などにかかりあうべきではない」とさとし、俗人の信者たちに任せておくがよいと言いました。師を失うことを心細がる弟子たちに対して「私の亡いあとは、私の教えた法と戒律とを師とせよ」とさとし「法と自分自身とをよりどころとし燈明とし、他のものにたよるな」と教えました。

 ブッダの最後に立ち会った主な弟子は、アヌルッダとアーナンダでした。サーリプッタとモッガラーナとは、すでにブッダに先立って入滅し、マハーカッサパはよそに布教中でした。ブッダの最後の言葉は「比丘たちよ、いざ汝たちに別れを告げる。諸々の現象は滅び行く。怠らず勤めよ」でした。こうして瞑想に入り、そのまま入滅したのでした。*


 ブッダの入滅に関しては、何度読み返してみても思いますが、自らの死に際して、自分ではなく弟子たちの今後を心配する、いまの私には到底できないことです。どうしても自分の身可愛さに、人の事を心配する余裕などないでしょう。ブッダの生き方、考え方は深く、愚かな私には理解し難いものがありますが、その中でもほんの少しだけでいいから、ブッダの理解した部分が分かるようになるべく、これからも精進していこうと思います。


*渡辺照宏著 「仏教のあゆみ」
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