仏教解説

13 仏教とはなにか -ブッダについて- ⑤

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 さて、自身の開いた悟りの内容を人々に伝えていくということは、ブッダにとって一大転回であると同時に、歴史的にも重要な出来事でした。彼が出家して追求した直接の目標は、前回にも出させていただいた通り、人間の苦の超克についてでした。今や、その目標に到達した以上は、それだけで満足することもできるはずでした。事実インドには、真理を自分自身のために獲得しただけで、満足したという人もいました。それらの人々は、他の人々のために教えを説くことはしなかったので、詳しくは分かりませんが、そうした人がいたということだけは明らかであり、その人たちは「自分だけのために悟った人(独覚・縁覚)」と呼ばれています。

 さて、ブッダとなって最初に赴いたのは、ベナレスの近郊で、「鹿野苑」とよばれる場所でした。そこには、かつて苦行をともにした五人のサマナ(シュラマナ:沙門)が滞在していました。彼らはブッダの姿を遥か遠くからこちらに来るのを見つけると「あれは苦行を捨てて堕落したゴータマではないか。近寄ってきても相手にするな」と口々に言い合いました。しかし、ブッダがそばまで来ると、五人とも、不思議な威光におされて、思わず最高の礼でもって迎えました。そこでブッダは彼らのためにはじめて教えを説きました。

 「世の中には二つの極端がある。修行者はそのどちらに偏ってもいけない。第一には本応の赴くままに快楽に耽ることである。これは卑しむべきことであって、立派な人のなすべきことではない。第二には、自分で無理に自分を苦しめる苦行をすることである。これは苦痛になるばかりで、何の役にも立たない。立派な人のすべきことではない。如来はこの両極端をすてて、中道を悟ったのである。これによって認識が生じ、人生問題を徹底的に買いけるすることができるのである」

 後世「転法輪経(てんぼうりんぎょう)」として伝えられる最初の説法の記録は、このように書き始められています。快楽生活も、苦行生活も、ともに正しい修行の方法ではない、というのはブッダの過去の生活に対する自己批判です。その両極端がどちらも無益なものであることは、身をもって実証したところでした。それならばその両極端を捨てた中道とはどういうものでしょうか。

 「中道とはなんであるか。これすなわち、八に区分される神聖な道〈八正道〉で、正しい見解(正見)、正しい決意(正思唯)、正しい言葉(正語)、正しい行為(正業)、正しい生活(正命)、正しい努力(正精進)、正しい想念(正念)、正しい瞑想(正定)である」

 この八つの実践項目が仏教の修行の根本であるといわれます。仏教が、後世どのように変形しても、かりにも仏教である以上は、この八項目の実践を中心とするものです。正しい見解というのは、仏教の根本的な人生観、世界観のことであり、これに基づいて修行の決意をします。そして言葉から想念にいたる道徳的実践によって基礎を築き、瞑想の実習によって完成します。こうして真理の洞察を得るに到るというのが、仏教の実践道徳の綱要です。*


*渡辺照宏著 「仏教のあゆみ」
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