仏教解説

10 仏教とはなにか -ブッダについて- ②

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 ブッダの入滅は何年であったかということですが、古代インドには正確な年代の記録がありません。もっとも確実な年号はギリシアのアレキサンドロス大王がインドに侵入した西暦前三百二十七年のことです。インド自体としては仏教やジャイナ教の側の記録がインド年代史の研究の重要な資料となります。これらの根拠に基づいて、仏教の開祖は西暦前五百六十年頃に生まれ、同じく四百八十年頃入滅したと推定されます。

 では、どのような地域において活躍したのかというと、ガンジス河中流で、東経八十五度の線から東西に延び、東西四百キロ、南北三百キロ程の土地に限られていました。その生まれた国は、現在のネパール国に属し、その西南国境に近いカピラヴァッツ(カピラヴァストゥ)と呼ぶ都城でした。当時、北インドに統一王国は存在していませんでしたが、そのほぼ中央に位置して最も力があったのは、コーサラ王国で、カピラヴァッツもその勢力圏内にあり、仏教の開祖の晩年には、コーサラのために征服されました。しかしそのコーサラをやぶって、後年の大帝国のもとを築いたのは東方のマガダ国でした。

 これらは後の話として、仏教の開祖が生まれた当時カピラヴァッツを首都として、小さいながらも、シャーキヤ(シャークヤ)族が国を構えていました。それは、今日のネパール国に属する地方で、ヒマラヤ山系を背後にひかえ、灌漑の水量は大体において豊富ではありましたが、旱魃(かんばつ)に際しては水を争って流血の惨事を見ることもあり、その反面、洪水の危険も少なく、耕作の豊穣も約束されていましたが、沼沢(しょうたく)より発する悪疫の心配も多分にありました。米作が盛んでマンゴーやサーラの林も豊かでしたが、ジャングルに覆われてしまう可能性もある土地でした。一言でいえば、土地の興廃は住民の勤勉さ如何にかかっていたのです。これだけでもシャーキヤの一族が精励(せいれい)で進歩的であると同時に、勝気で傲慢に陥ってしまう民族であった事が分かります。

 さて、当時の宗教の思想はどのようであったかということについてみていきます。
 当時の北インドでは大体において物質生活は豊かで、非生産者を養うだけの余地は十分にありました。この非生産者のうちでは宗教家が多数でした。世襲の宗教家はバラモンで、家柄にかかわりなく出家生活をするのがサマナであり、どちらも生業にたずさわる人も多少はいましたが、多数は信者が寄付する衣食に頼って生活をしていました。彼らの中には祈祷、占い、祭式などを職業とするものも少なくありませんでした。当時のように、一般に迷信が強い社会では、そのような呪術がかなり大きな役割を果たしていました。

 インド思想史を紐解くと、西暦前第六世紀よりも以前に、「ウパンニシャッド」の偉大な哲学が発達し、個人魂(アートマン)と宇宙魂(ブラフマン)との、形而上学的同一の思想を完成していますが、それはどこまでも一部の限られた哲学者の思索だけに留まり、一般民衆(大部分のバラモンを含めて)には縁のないものでした。これに反して、学問のあるなしにかかわらず、ほとんどすべての人々の関心の的となったのは輪廻の思想でした。輪廻思想がインド・アールヤ人の思索の産物だったのか、それとも先住民族の間に行われていた一種の民間信仰に期限を発するものか、それは断定できません。おそらくは、この両方が混じりあっていたものでしょう。人間の現在の生存は過去から未来にわたる無限の生存の系列の中の一様相にすぎない、というのがその根底にある考えです。つまり、現在の生存は過去の生存の結果として生じたもんであり、同時に未来の生存の原因になります。その最も通俗的な形としては、現在の幸不幸は過去の善悪によって定められたものであり、現在の行為の如何によって、来世において天国、人間界、地獄その他に再生すると言われます。しかし、問題をもっと倫理的に考察する人々にとっては、現在の生存における道徳的不公平を調整する方法として、過去と未来との両方向へ生存の範囲を拡張するという要請が輪廻思想だったのです。*


 地獄と極楽とは申しますが、それは死後のみにあるわけではなく、私たちが住んでいる現実にもあります。すなわち、自分が正しく、自分の考えに賛同しない者は全員不遇な目にあわすという人がいた場合、その場所は地獄となります。それとは逆に、常に周りの人の事を考え、優しさ(厳しい優しさを含む)に溢れ、努力し続けている人がいる場合は、その場所が極楽となります。どちらも人(自分を含む)の心次第ということになります。
 悪の果実が熟せば、呼吸をするように悪事を働き、止めることはありません。善の果実が熟せば、自然と善行を行い、止むことはありません。ただ、自らのなした行いは自らに返っていきます。どちらの道を選ぶにしても、自分はこれまでに何をしてきて、いま何をしているのかを常に気を付けなければなりません。私は後ろ指をさされるような事がないよう、真っ白な状態で生きていこうと思います。


* 渡辺照宏著 「仏教のあゆみ」
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