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仏教解説

6 仏教とはなにか -インド文化について-

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 インドは、二百年にわたるイギリスの統治から離脱し、第二次世界大戦後に独立はしましたが、不幸にしてインドとパキスタンとの二国に別れてしまいました。そして現在でも、この二つの国の間では紛争が絶えません。この民族的な悲劇の原因は宗教にあります。八世紀のはじめにインドに侵入したイスラム教は二、三世紀の間に主として下層民の間に勢力を得て、従来のヒンドゥ教徒に対立することになりました。この宗教的の対立がインドの統一を妨げ、絶えず騒動を引き起こす原因となっています。

 イスラム教が侵入するまでは、インド人の宗教は民族固有のものばかりでした。そして、教理の上では互いに対立していても、宗教の衝突から流血の惨事を見るようなことはありませんでした。

 インドの文明の歴史は、西暦紀元前二千五百年から二千年に及ぶといわれ、つまりは「インダス文明」まで遡る事ができます。これは青銅器時代に属する都市文明で、千九百二十二年から発掘を始められたモヘンジョダロやハラッパーの遺跡や遺物から推定されるところによると、きわめて発達した都市施設を備え、高度の豊かな市民生活が営まれていたそうです。しかし、そこに発見された文字らしい印章は未だ解明されず、宗教思想などもよくわからないので、後のインド文化との関係は依然として不明です。つまり、今日まで継続するインドの文化史の流れは、それ以後(西暦前二千年頃)からはじまると言ってよいでしょう。


 インドの民族はどのようであったかというと、インド人と一口に言っても、その校正はきわめて複雑で、色々の民族的要素の混成ですが、なんといっても文明史の上から見て最も重要なものはアールヤ(アーリア)民族です。このインド・アールヤ人は、民族的、言語的に見てイラン人にもっとも近く、かつてパミール高原のあたりで一緒に生活していたものと思われます。また今日のヨーロッパ人の大部分とも言語の上で関連があり、これらを総称してインド・ヨーロッパ語族とよんでいます。このインド・アールヤ民族が中央アジアの高原からアフガニスタンに入り、そこからカーブル河流域からインドの西北、インダス河地方に侵入したのは、だいたいにおいて西暦前千五百年頃と推定されています。このアールヤ人の持っていた精神文明が、少なくともイスラム侵入まではインドの文明の基調となっていましたし、今日でもイスラム社会以外では同じです。これを総称してヒンドゥ教とよんでいます。

 もっとも言語的、民族的にいうと、インドにはアールヤ族の他にムンダー族とドラヴィダ族とがあって、現在でもその特色を残しています。これらはおそらくインドの先住民族で、アールヤ族の侵入以前からこの土地に住んでいたものであるが、多くの場合に文化的にはアールヤ族に同化されて、同じ宗教、同じ文化の圏内に入ります。ある文化圏内に入った異民族が、しばしば本家の民族以上に熱心に、その文化を重んずることがありますが、ドラヴィダ族の多い南方インドでは、アールヤ文化の伝統がかえって忠実に守られている場合があります。*


* 渡辺照宏著 「仏教のあゆみ」
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