仏教解説

「人間としてのブッダ」を書き終えて

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 増谷文雄著「人間としてのブッダ」の解釈ということで、平成二十六年二月からはじめて、平成二十九年一月までで、計八十五回に渡り、仏教の原点であるブッダ・ゴータマ(仏陀・釈迦如来・釈尊・世尊)について書いてきました。

 ブッダについては非常に伝説が多く、それをいちいちに説明しようとしても説明できるものではありません。矛盾点も多いからです。「贔屓(ひいき)の引き倒し」という諺(贔屓をすることによって、かえってその人を不利にすること)の通りで、ブッダ・ゴータマを尊崇する人々によって伝説が作られ、そのせいでかえって不信感を持つ人も多くなってしまうのも仕方ないことです。だから、ある程度その伝説を省いた状態でのブッダ・ゴータマを描きたかったのですが、私のみの浅い知識ではどうしても曲解してしまうことが多々あると考え、阿含経(アーガマ)研究の大家である増谷先生の書いた本を解釈していこうと思い至ったわけです。


 私が感銘を受けたところはどこかというと、たくさん有りすぎるのですが、強いて挙げるとするならば、弟子であるサーリプッタ(舎利弗)とモッガラーナ(目犍連)の二人が遷化した後の布薩(ウポーサタ:月に二度、新月と満月の宵、同じ地域にいる比丘たちが集まり、露地に円陣をつくって、戒本(戒律の項目をならべ記したもの)を読み、懺悔の機会が与えられるという美しい儀式)の際に、比丘たちに向かって告げた

 「比丘たちよ、サーリプッタとモッガラーナがいなくなってから、わたしは、この衆会は空虚になってしまったように思われる。比丘たちよ、いまは、あの二人の思いでだけが、わたしを支えてくれる」

 です。このことばは、お恥ずかしながら、私自身ブッダ・ゴータマを神格化していたので、非常に驚いたところでした。このことばを見るたびに、ブッダ・ゴータマの当時の情景が目に浮かんできそうに思います。「なんとも真っ直ぐで、心を締め付けるようなことばだろうか。本当にこの二人のことが友(盟友)だったんだ」と涙を流しながら読んだのを、昨日のことのように覚えています。


 挙げていけばキリがないのですが、一番印象に残ったのはこの部分でした。次に印象深かったのが、最期の旅の際に、鍛冶屋チュンダ(純奈)の供養した茸でもって、激痛が起こった時の事です。増谷先生の本の中には出てきておりませんでしたが、不可解だと思いませんか。ブッダ・ゴータマ一行が供養を受けたはずなのに、どうしてブッダのみが病気になったのか、他の先生方の本の中で、実はブッダはこの茸が猛毒であると分かっていて、弟子たちには、「これは如来しか食せないものであるから、他の者は食してはならぬ」っと言い、茸はブッダが全部食されたというのです。確かにそれだと弟子たちが病気になっていないのも頷けます。そして、それが分かった時、チュンダはブッダに対してとんでもないことをしてしまったと謝ったそうですが、ブッダは怒ることなく、供養した者に一切の責任はなく、これは寿命であると言い、お腹を下しつつ、次の町にいったのだといいます。

 この部分に関しても非常に驚いたところでした。供養していただいたものは有難くいただく、それが実践できるかというと、非常に難しいと言わざるをえないでしょう。この時のチュンダの後悔の涙、しかしその涙をかき消すようなブッダのことば、ことばにできないほど、美しいやり取りでありまた、現実にあったことなんだということを思い描けるような場面でした。


 難しいといえば、最期の入滅に至る際に、比丘たちのことを案じ、いったことば

 「比丘たちよ、なんじらのうち、なお、仏のことや、法のことや、僧伽のことや、あるいは実践のことなどについて、なんぞ疑いもしくは惑(まど)いをのこしているものがあるならば、いま問うがよろしい。後になって、―わたしはあのとき世尊の面前にありながら、問うことを得なかった―との悔(く)いをあらしめてはならない」

 自らの死を目の前にした者が、「入滅後、後悔する前に分からないことがあればいま問え」といっているのです。こんなことがいえるでしょうか。いまの愚かな私は、自分がかわいいと思ってしまうので、生命飢餓状態になり、きっと(絶対)欲がでてくるでしょう。

 ブッダは沈黙の中、静かに待ちました、するとアーナンダが

  「世尊よ、まことに稀有なことでございます。世尊よ、もはや一人の比丘とても、疑いもしくは惑いをのこしているものはないと思われます」

 と師に告げ、しばしの沈黙後

 「では、比丘たちよ、わたしは汝らに告げよう。―この世のことはすべて壊法(えほう)である。放逸(ほういつ)なることなくして精進するがよい。―これがわたしの最後のことばである」

 といい、永遠の静寂の中に入られました。この部分は、いまだからこそ輝いていることばだと私は思います。


 「この世は諸行無常であるから、怠ることなく精進努力せよ」とは、まさに私に対していわれていることばだと感じました。私は油断すると、すぐ怠けてしまい、努力をしないことが多々あります。そして、有言実行をしないと私は動けない人間です。だから、檀家さんのところでおはなしをする機会があれば、事あるごとに、現在の私の駄目な部分を正直にはなし、今後はどのようにしていきたいかを宣言してきております。そうすれば、私が怠けて何もしていない時があっても、「そういえば、檀家さんたちの前で結構努力していくって宣言しているな」と思い出し、少しでも努力していこうと思えるからです。


 この仏教解説シリーズ(と勝手に命名しております)を書かせていただく過程の中で、私自身が再度勉強になった部分も多く、最初に読んだときには気づかなかった部分も多々ございました。これも、皆さんが見てくれていたからできたことです。本当に長い間有難うございました。今後は、自分の程度を知り、その程度に合った仕事をこなしていき、少しでも前進していくよう、努力してまいりますので、どうぞよろしくお願い致します。


 最後になりますが、いつも非常にお世話になっているある方より、「仏教について書いてほしい」という依頼がございましたので、今回と同様の形式でもって書かせていただこうかと思っておりますので、もしご興味のある方がいらっしゃいましたら、また懲りずにお付き合い下さい。


 皆様、本当に有難うございました。
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