仏教解説

83 人間としてのブッダ -仏舎利- ②

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 その頃、パーヴァー(波婆)からクシナーラー(拘尸那竭)へと通じる交易路を、もう一つの比丘たちのグループが、西に向かって歩いていました。彼らは、ブッダ・ゴータマの一行の後を追って、同じ道をクシナーラーに向かって旅しているのであって、決して別の行動をとっていたわけではありません。おそらくは、あまりに多くの比丘たちが、一斉にある村や町に入りこんでしまっては、それを供養する方も大変です。おそらくそのような理由から、この聖者の最期の遊行では、一行が二つのグループに分かれ、その後のグループは、先行するブッダ・ゴータマのグループから数日の旅程をおいて、その跡を追っていたものだと思われます。そして、その後のグループの中で最も主だった人物に、かのマハー・カッサパ(摩訶迦葉)がいました。

 彼は、そのグループの先頭にたって歩いていました。すると、向こうの方からこちらに向かって歩いてくる一人の外道の修行者がいました。彼が近づいてくると、マハー・カッサパは問いました。

 「友よ、わたしどもの師の消息をご存じではあるまいか」

 それが彼らのいつもの例でした。先行する師の一行の消息を、会う人ごとにたずねながら、その跡を追ってゆくのです。すると、外道の修行者は、気の毒そうな顔をしていいました。

 「おお友よ、知っているとも。沙門ゴータマは亡くなられて、もう七日になります。わたしもご遺体に詣でてまいりました。これがその時の花ですよ」

 彼らは驚倒し、なげき悲しみました。その様子を経典のことばは、例によって、ある者は腕を伸ばして泣き、またある者は、砕かれた岩のように、打ち倒れて転びまわった、と述べています。しかし、すでによく心の平静を克ち得ている比丘たちは、じっと眼をとじて、「すべては無常である。いかでか滅せざることがあり得ようか」と念じたとも記されています。

 その時、彼らの中に、とんでもないことを、大声でわめきちらした者がいました。それは、もうだいぶ年老いてから出家したスバッタ(須跋)という老年の比丘でありましたが、彼は、なげき悲しむ仲間の比丘たちに向かって、次のようにいいました。

 「友よ、悲しむのはやめてくれ。泣かなくってもよいではないか。われわれは、これでやっと、かの大沙門から自由になったのだ。かの師はたいへんやかましい方で、いつも〈こは汝らに許す〉とか、〈こは汝らに相応(ふさ)わしからず〉とか、われわれは、たえず苦しめられ、抑えられていたのだが、いまや、われわれは、欲することをなし、欲せぬことはしないでもよいのだ」

 それは、今日にしてその一節を読む私たちも、唖然とせざるをえない暴言です。その時、その時、その場にあって、その暴言を聞かされた比丘たちが、どんな思いをしたかは、想像するにあまりあるでしょう。みんな渋い顔をしていました。こみあげてくる怒りを抑えかねている者もいました。しかし、いまは、そんなことにかかわっている時ではありませんでした。彼らのなすべきことはただ一つ、一時も早くかの師の亡骸のもとに馳けつけることでなければならなかったのです。

 「いざ」というマハー・カッサパの声をきっかけに、彼らはもう一度立ち上がって、クシナーラーに向かって急ぎました。その足取りは、今までの悠々たるそれとは違って、死に物狂いの速さで運ばれました。
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