仏教解説

82 人間としてのブッダ -仏舎利- ①

 ←大法会 ④ →明けましておめでとうございます。
 大いなる死はついにこの世を去りました。随侍する弟子たちの嘆きは深刻でした。しかし、初期の経典を見ても、彼らは、かの師の死について語ったこともなければ、また、その再臨の物語を生みだすような幻想にとらわれた痕跡もありません。彼らは、その夜を静かに教法について語り合うことで過ごしました。そして、やっと長い夜が明け染めた頃、アヌルッダ(阿那律)がそっとアーナンダ(阿難)に語りかけていいました。

 「友アーナンダよ、クシナーラ(拘尸那竭)に行って、マッラ(末羅)族の人々に世尊の死を告げ、時よろしくば告別のために来るがよいと告げてもらいたい」

 アーナンダは、一人の従者を従えて、クシナーラの町に行きました。町では、ちょうど人々が会議場に集まっているところでしたが、アーナンダがかの師の訃報を伝えると、彼らもまた、いたく驚き悲しみました。その様子を経典の叙述は、

 「ある者は髪をふり乱して泣き、ある者は腕を伸ばして哭(こく)し、またある者は、砕かれた岩のように、打ち倒れて転びまわった」

 と、描いています。

 しかし、いつまでもそうしているわけにはいきません。「さあゆこう」と、誰やら主だった者が声をかけると、彼らはそれぞれに、多量のお香を集め、布を用意し、花環を作り、あるいは楽器を携えて、かのサーラ(沙羅)の並木に向かって出かけました。

 そこでひとつ、はっきりと言っておかなければならないことがあり、この場合、亡くなられたこの大いなる聖者の骸を処理する仕事は、その弟子の比丘たちのものではなく、かえって、いま駆け付けた在俗の人々の仕事となります。彼らが香華や楽器や布などを持って駆け付けたのは、その役割を果たすためでした。それは、今日では、葬祭は仏教僧侶の役割であると考えている常識とは全く正反対なのです。

 そのことについて、この「大般涅槃経」の叙述の中には、次のような師と弟子の問答の一節が存しています。それは、すでにこの師がサーラの並木のもとの死の病床に横たわっている時のことでした。アーナンダがそっと師にうかがいをたてて問いました。

 「世尊よ、われらは如来の遺体をどのように処理いたしましたならばよろしゅうございますか」

 おそらく、アーナンダの心では、これほど偉大な聖者のことであるから、その遺体の処理についても、何か常人と違ったことがあるかも知れないと思ってのことだったに違いありません。その問いに対してブッダ・ゴータマの答えは次のように記されています。

 「アーナンダよ、なんじらは、わたしの遺体供養のために煩(わずら)わされてはならない。アーナンダよ、なんじらはただ最高善にむかって努力するがよい。最善を修するがよい。最高善にむかって、傍目(はため)もふらず、熱心に精進するがよい。アーナンダよ、この世には如来に信心をいだくクシャトリヤ(刹帝利=武士)の学者も、ブラフマン(婆羅門=司祭者)の学者も、居士(こじ)の学者もある。彼らが如来の遺体をよく供養するであろう」

 その師のことばは、まだアーナンダの耳には生々しく残っていたはずです。そして、比丘たちは、ここでは葬儀の脇役として立っているのでした。


 ここで気づくのは、師が弟子の比丘たちの事を最期まで思っていたこと、また、在俗の信者が亡き後は如法に供養してくれると信じていたことです。この信頼関係は並大抵なことでは生まれません。師が晩年まで教化活動を真摯にされていたからこそ、弟子の比丘たちや、信者たちがついてきたのです。そこには確かな信が見えます。
 教理だけを話しても足りません。実践のみでもまた然りです。両方があったからこそこの絆ができたのです。私は全く両方ともが足りておりません。これから勉強と実践を重ねて、少しでも師の後を追いかけようかと思っております。
スポンサーサイト



もくじ  3kaku_s_L.png 日常
もくじ  3kaku_s_L.png 四国遍路
もくじ  3kaku_s_L.png 結衆
もくじ  3kaku_s_L.png 仏教
もくじ  3kaku_s_L.png 仏教解説
もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 巡礼
【大法会 ④】へ  【明けましておめでとうございます。】へ

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【大法会 ④】へ
  • 【明けましておめでとうございます。】へ