仏教解説

81 人間としてのブッダ -聖者の死- ⑤

 ←80 人間としてのブッダ -聖者の死- ④ →大法会 ①
 ブッダ・ゴータマが静かな死をとげた時、お経の叙述は、そこでもまた古典的手法をもって、最上の荘厳を表現しようと試みています。

 「世尊が般涅槃(はつねはん)をとりたまいし時、般涅槃とともに大いなる地震ありき。人々は恐怖し、身毛はそばだち、また天の鼓(つづみ)は鳴りひびけり」

 と、このように記されています。そのような表現は、これまでに言ったことがありますが、この世における最上級の大事(だいじ)が成就した時にのみ用いられる古典的表現の定型的な手法であって、いわゆる「仏四大事(ぶつしだいじ)」、すなわち、この聖者の誕生、大覚、初転法輪、ならびにその大いなる死にあたってこの表現をこころみるというのが、古来からの経典文学の約束といっても過言ではないでしょう。そして、般涅槃とは、つまり「完全なる静寂」というほどの意味のことばでした。

 さらに、この『大般涅槃経』すなわち、ブッダ・ゴータマの「大いなる死」を記しているお経は、そこに、もろもろの天神ならびに上足の弟子たちに帰せられる「般涅槃」にいくつかの偈をさしはさんでいます。それらによって、この比類なき聖者の「大いなる死」によせたこの時代の人々の心に思っていることをうかがうことができます。

 梵天に帰せられる偈は、次のように述べられてあります。

 「この世の生きとし生けるものは
  いつかその身命(しんみょう)を捨てねばならぬ
  たぐいなき如来、力ある正覚者
  かかる師もまた逝(ゆ)きませるかな」

 また、帝釈天に帰せられる偈は、次のように語っています。

 「まことに諸行は無常にして
  生滅を性となすものである
  生じたるものはまた滅する
  その静まれるこそ安楽なれ」

 また、アーナンダは次のように述べたといいます。

 「その時、わたしには恐怖があった
  わたしの頭髪はそそりたった
  すべての慈悲をそなえたまえる
  かの正覚者の逝きませる時」

 そして、アヌルッダ(阿那律)に帰せられる偈には、心にしみるものがあります。

 「心やすらけき救済者は
  いまや入る息(いき)も出る息もない
  欲なき者は寂静にいたり
  覚者はいま滅したもうた
  ゆるぎなき心をもって
  よく苦痛にたえたまい
  ともしびの消えるがごとく
  心の解脱(げだつ)をとげたもうた」


 以上が、ブッダ・ゴータマの最期でした。次からは、その後の仏教徒の歩んできたところを見ていきましょう。
スポンサーサイト



もくじ  3kaku_s_L.png 日常
もくじ  3kaku_s_L.png 四国遍路
もくじ  3kaku_s_L.png 結衆
もくじ  3kaku_s_L.png 仏教
もくじ  3kaku_s_L.png 仏教解説
もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 巡礼
【80 人間としてのブッダ -聖者の死- ④】へ  【大法会 ①】へ

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【80 人間としてのブッダ -聖者の死- ④】へ
  • 【大法会 ①】へ