仏教解説

72 人間としてのブッダ -最後の旅- ①

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 ブッダ・ゴータマはすでに八十という高齢に達していました。その肉体のうえには、老いがはっきりと色濃くみえます。一つのお経(長部経典、一六、大般涅槃経。漢訳同本、長阿含経、二-四、遊行経)は、この師が随侍の比丘であったアーナンダ(阿難)に語りかけたことばを、次のように記しています。

 「アーナンダよ、わたしは老い衰えた。老齢すでに八十におよんだ。たとえば、アーナンダよ、古い車は革紐(かわひも)のたすけによって、やっと動くことができるが、思うに、私の身軀(からだ)もまた、革紐のたすけによって、やっと動いているようなものだ」

 この一句には実にブッダのその時の心境を的確に語られたことばです。そしてこの聖者は、その老い衰えている身軀でもって、またもや伝道の旅にいこうするのです。

 さっきのお経の漢訳本は、その経題を「遊行経(ゆぎょうきょう)」といいます。「遊行」とは伝道の旅のことをさすことばです。その伝道の旅は、ラージャガハ(王舎城)からはじまります。その目的地はどこであったかということを、わたしたちはもはや知ることはできません。それは、サーヴァッティー(舎衛城)であったかもしれません。あるいは、最後に故郷のカピラヴァッツ(迦毘羅衛)を訪れたかったかもしれません。しかし、いずれにしても、その目的地への到達は、この聖者の「大いなる死」によって、ついに実現されずに終わりました。さっきのお経の南伝本(なんでんぼん)が、その経題を「大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)」と称す所以がその理由です。ともかく、その伝道の旅は、この聖者にとっての「最後の旅路」であったし、また、その旅の叙述は、そのまま、この聖者の「大いなる死」の叙述となりました。では、これよりはこのお経によりながら、この聖者の「最後の旅路」とその「大いなる死」についてみてまいりましょう。



 わたしたちは涅槃(ニルヴァーナ)ということばをよく知っています。しかし、その涅槃とはなにかという疑問を持たれている方も少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。ブッダがどのような思いで最後の旅にのぞみ、どのような感慨を得、最後にはどのような法を説かれたのか、ご存知な方も、そうでない方も、一緒にブッダ・ゴータマの生涯、その中でもとりわけ重要である、「大いなる死」について理解を深めてゆくたく存じます。

 いよいよ大詰めです。これまでみてこられた方々、もうしばしお付き合いの程、よろしくお願い申し上げます。
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