仏教解説

70 人間としてのブッダ -師の晩年- ②

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 サーリプッタ(舎利弗)の死について、一つのお経(相応部経典、四七、一三、「純陀」。漢訳同本、二四、三九、「純陀」)には、次のように記しています。

 それは、ブッダ・ゴータマが、サーヴァッティー(舎衛城)の郊外の、ジェータヴァナ(祇陀林)の精舎にあった時のことでした。その頃、サーリプッタは、マガダ(摩掲陀)の国の田舎、ナーラカ(那羅)という村にいて、病を養っていました。
 ナーラカ村というのは、彼の出身地であって、そこに引き込んでの療病といえば、中々治らないような病気になっていたのに違いありません。そばにはチュンダ(純陀)という沙弥(年少の徒弟)がただ一人つきそって看病につとめていましたが、サーリプッタの病状は一向に良くならず、とうとうそこで死んでしまいました。

 チュンダは、サーリプッタの鉢と衣とをもって、急いでジェータヴァナ(祇陀)の精舎にいるブッダ・ゴータマのところに、その訃報を伝えました。彼は、取りつぎに出たアーナンダ(阿難)の顔を見ると、泣きじゃくりながら、

 「大徳よ、長老サーリプッタが亡くなりました。これがその鉢と衣でございます」
 と、やっとそれだけを言うことができました。
 「それは、たいへんだ。すぐ世尊にお会いして、事のよしを申しあげねばならん。さあおいで・・・」
 と、アーナンダも、あわてふためき、チュンダを連れて、師の前にいきました。
 「申しあげます。このチュンダなる沙弥の報ずるところによれば、長老サーリプッタはついに他界せられました。これなる鉢と衣とがその遺品でございます。大徳よ、わたしは、長老サーリプッタの訃報を聞いて、全身わなわなと震え、四方がまっ暗くなったように覚えました」

 しかし、ブッダ・ゴータマは、その時にも、いつもの静かな態度を失うことはありませんでした。やがて、アーナンダに語りかけたことばも、いつものように物静かにいいました。

 「アーナンダよ、いつもわたしが言っておるではないか。すべて愛する者とは、いつか別離しなければならぬ。アーナンダよ、この世のことは、一つとして、変易せざるものはあることをえない」

 それはこの師が、いつも言っていることです。それだけではなく、さらにいえば、ブッダ・ゴータマがその生涯をかけて追及してきたものは、このような時にも取り乱すことのない人間の生き方そのものであったはずです。しかし、やはり誰より悲しいのです。普通の人と異なるところがあるとすれば、それはただ、取り乱さないというだけのことです。少しの沈黙のあと、ブッダ・ゴータマはまたアーナンダに語りかけていいました。

 「アーナンダよ、たとえば、ここに一本の堅固な大樹があるとするがよい。その大樹もまた、時に、その大いなる枝が枯れて落ちるということもある。アーナンダよ、サーリプッタはそのような多いなる枝であった。その大いなる枝はいま枯れて落ちた。だが、大樹はなお堅固に生きつづけるであろう」

 そして、また、少しの沈黙のあと、ブッダ・ゴータマは、わたしたちのよく知っている有名な一句でもって、アーナンダに語りかけました。

 「アーナンダよ、されば、自己を洲(す)とし、自己を依拠として、他人を依拠とせず、法を洲とし、法を依拠として、他を依拠とせずして住するがよい」

 後代の仏教者たちは、この一句を「自帰依・法帰依」のおしえといって重んじます。ここにでている「洲」というのは、河のなかにできる洲(島)という意味です。すべてが移り流れるこの世のことの中において、依って立つべきところをこの「洲」の一字でもって表現しているのです。では、この世において「洲」というものは何かというと、それは、「よく調御されたる自己」に他にはありません。そして、自己をよく調御するためには、師によって説かれた法による他はありません。ブッダ・ゴータマの証(さと)りとり、教えてきたところを、そのギリギリのところまで突き詰めてみると、最終的には、そこにまで到らなければなりません。

 サーリプッタは素晴らしい弟子でした。ブッダ・ゴータマの数多い弟子の中においても、誰もがまず第一に指を折るほどの代表的な仏弟子でした。一つのお経(中部経典、一一一、「不断経」)によれば、かつてこの師はこの弟子を讃えて、「サーリプッタは、如来によって転ぜられた無上の法輪を、まさに正しく随い、正しく転じてゆく。もし人あって―某々は世尊の実子である。その口より生まれたもの、法より生まれたもの、法によりて成れるもの、法の相続者である―というものあらば、そのことばは誰よりもまずサーリプッタにこそ相応(ふさわ)しい」と語ったことがあるといいます。その弟子の死は悲しいのは当然です。しかし、それによって、この「自帰依・法帰依」の道は、少しも脅(おびや)かされるものではありません。たとえ、サーリプッタが死のうが、あるいは、このわたし(ブッダ)が逝(ゆ)こうが、また誰しもが「自己を依拠とし、法を依拠とし」て歩くことを忘れないかぎり、この道は少しも憂いるところはありません。

 この時、ブッダ・ゴータマは、そこまで突き詰めて語らなければなりませんでした。

 今日わたしたちの有する初期の経典の関するかぎり、この「自帰依・法帰依」のおしえが説かれたのは、この時が最初だったのです。


 様々なお寺さんでこの「自帰依・法帰依」の文字をよく見かけます。上にも書いております通り、ブッダ・ゴータマによって説かれ、それが二千五百年経った現代にも当てはまる、いや、いまだからこそ光り輝いているように私は思います。ただ、心の平安、安心、真実なる智慧を得るということは非常に難しいです。しかし仏教はなにも形而上学的な要素はなく、私たちも努力してゆけば少しずつ近づいていくことができるのです。逆をいえば、努力をしなければ後退していってしまうということです。自分自身が光となれるよう、努力してゆかねばなりません。
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