日常

自分のことを考える

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 私たちは普通の人間です。普通の人間というのは、完璧ではないということです。つまり、失言や間違った行動をしてしまうということです。しかし、私たちは自分自身のことを見るのではなく、他人のことが気になるようで、荒さがしをはじめてしまいます。そして、自分も悪いことをしているということを忘れて、「あの人が悪い」と責めるのです。しかし、それが良いことかどうかと問われると、誰もが「違う」というでしょう。

 そして、上記にもあります通り自分自身のことを見ようとはしません。なぜならば、自分自身のことを見ていくと、直さないといけない部分が出てくるからです。「他人の背中は見ゆれども、自分の背中は見えぬ」ということばの通りです。しかし、そのままでは人間的には一向に成長しません。それどころか逆の方面に向かって進んでしまうことになります。

 人間社会では「信頼」が大切になりますが、人のことばかり悪くいって自分の悪いところを改善しなければどうでしょうか。信頼どころか、いつでも疑われることになってしまいます。それもまた仕方のないことといえるでしょう。


 まずここでは、「自分はできていない」という立場に立ってみる勇気が必要です。それはただ単に心で思うだけではなく、自分の中で「できていないのであれば、できるように努力していこう」と一つの決心をするのです。そうすれば、「なんか嫌がらせでいってきているのではないか」と考えるのではなく、「私はまだまだできていない。だから注意してくれる人の話を真摯(しんし)に聞いて、その通りにしてみよう」と思えるようになるのです。こうなれば、以前の傲慢(ごうまん)であった自分ではなく、「真摯に努力する人」となるのです。

 ここまでくれば、自分のことにようやく気づくようになります。これまでの自分がどうであったか、どれだけの人のお世話になっていたかということを。こうなると、過去の自分を反省し、周りの人の迷惑にならないようにしようと考え、行動していきます。そして、その人はいずれ「信頼される人」となるのです。


 人間社会で生きていく以上、他人との関わりは必然です。だからこそ、自分の身勝手なわがままな行為をするのではなく、他人に対しての配慮が必要不可欠となります。自分の中身を磨いていく努力と、客観的な意見を聞き入れ直していく、難しいことですが、この両方をしていくことによって、私たちの心は澄んでいくのです。この澄んだ状態、つまりは心のきれいになった状態こそ、私たちが目指すべき人間ではないでしょうか。

 「なれない」と思うのではなく、「なろうと努力をする」と考え、少しでもそのような人に近づけるよう、頑張っていきたいものです。
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