日常

働く

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 「働くということは自分の為ではなく、傍を楽にする為に働くのだ」(松涛弘道)


 人間というのは一人で生きているわけではございません。仕事もそうです。一人でしているわけではありません。そのようなことにも気づかずに、他人を軽んじ、嘲り、謗る、さてこれが本当に正しいことでしょうか。
 「自分がされて嫌なことは、人にしないようにしましょう」などということは、小さな子供たちですら知っていることなのに、全く考えずに自分の好き放題なことを行う、これが皆の幸せでしょうか。

 「ただ、年だけとってシワだらけの子供が世間では多い」(内田樹)


 自分がいかにも苦労や努力をし尽くして生きてきたという顔をして、自分のいうことを聞くまでいう、おかしいことではないでしょうか。
 年齢は確かに違うけれども、子供であろうが、大人であろうが、学ぶ気持ちすらあればどこの年齢層からでも学ぶことができます。そのような考えで、様々な声に耳を傾けてこられた方は、相手の年齢を見て軽んずることはありません。むしろ、どのようなお話をなさるのかというのを真剣に聞いており、素晴らしいことをいわれた方に対しては自然と敬意を表するのです。
 このような方が、本当に人生において苦労をなされた方の特徴です。苦労をすればするほど、相手の痛みが分かるからです。逆をいえば、相手のことを全く考えないという人は苦労をしたことがあまりないといえるのです。

 仕事も同じです。失敗をするというのは誰にでもあることですが、そこにおいて全力で仕事をすれば、自然と自信と誇りが出てきて、それを次に活用できるのです。「あの人がこのようなことをした」といった相手の責任にして逃げてしまうのでは成長するどころか、後退していき、最後には自分の周りに誰もいなくなってしまうのです。

 努力をして、以前にはできなかった仕事を覚えていき、一緒に仕事をしている同僚に迷惑をできるだけかけないようにしていけば、その会社というのは発展していきます。「自分の仕事はここまでだから後はやらない」という人たちばかりだと、どんどん衰退していき、結果どうなることかは容易に想像することができるでしょう。


 人間社会を構成しているのは、私たち一人一人の人間です。仕事は多種ございますが、それらの歯車がうまくかみ合って機能しているのです。この歯車は少々なことではびくともしません(自分の仕事+αをしている人がいるから)が、比率が極端に偏ると、脆く崩れてしまいます。そうならないためにも、歯車の一つである私たちが、またまた歯車の一つである会社内で、今よりもっといい会社にしようと一人一人が思い、また一緒に働いている人たちにも迷惑をかけないように仕事をしていく、これが本当の働くという意味ではないでしょうか。
 

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」(諺)


 年齢を重ねるたびに、このようにならなければなりません。
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