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仏教解説

63 人間としてのブッダ -盗賊への教化- ③

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 しかし、アングリマーラ(鴦堀魔)にとっては、それからが苦しい試練の日々でした。なぜかといえば、彼が今日まで犯し続けてきた悪業は、あまりにも大きかったからです。

 ある日、朝早くアングリマーラは、衣鉢を整え、サーヴァッティ(舎衛城)の町に入って托鉢を行じました。その時、ある人が投げた土が彼に当たりました。また、ある人の投げた石が彼に当たり、ある人の投げた棒が、彼を傷つけました。サーヴァッティーの人々は、いつまで経っても、彼が犯した過去の悪業を忘れられないのです。

 彼の頭からは血が流れていました。彼の鉢は壊され、彼の衣は引き裂かれていました。それは非常にみじめな姿でした。そんな姿をして帰ってきたアングリマーラを見て、ブッダ・ゴータマは彼を励ましていいました。

 「比丘よ、忍べ。忍んで受けるがよい。なんじは、なんじの行為によって、いくとせも、いくとせも、他生にわたって受けねばならぬであろう悪果を、いま現在において受けているのである。比丘よ、忍べ。忍んで受けるがよい」

 彼は、師の激励を謝して、退いてひとり坐していました。その心は当然、みじめであったに違いありません。しかし、彼は挫けませんでした。師の激励が彼を支えてくれたからです。そのとき、彼の口からは、自然と次のような独り事がもれたといいます。それを、このお経のことばは、例によって、また韻文でもって記し残しています。それがこのお経の最後のクライマックスをなしているからなのでしょう。

 「さきには放逸であったけれども
  のちには放逸ならざる人は
  雲を離れた月のごとく
  この世を照らすであろう

  もし人よく善をもって
  そのなせる悪業を覆わば
  その人は、この世を照らすこと
  雲を離れた月のごとくであろう

  さきにわれは凶賊にして
  アングリマーラとして知られた
  いまや、大いなる流れにながされ
  ブッダに帰依する者となった

  さきにわれは手を血塗らし
  指鬘外道として恐れられた
  いまは、ブッダに帰依したれば
  さらに悪業をかさぬることなし

  水を導くものは水路をつくり
  箭(や)づくる工は箭柄(やがら)を矯(たわ)め
  木工をいとなむものは木をただす
  智ある者はおのれを調(ととの)える

  ある者は杖をもって調伏する
  またある者は鞭をもって調伏する
  されど、かかる杖、鞭をもちいずして
  われはかく調伏せられた

  さきには殺害者であったわれは
  いまは不害者なりと称せられる
  われはいま真実の名を得て
  もはや何びとをも害せじ」

 この最後の一偈については、少し注釈を加えておかなければなりません。それは、そこに見える「殺害者」および「不害者」という、一対をなすことばについてです。彼ははじめ凶悪な盗賊として、恐るべき「殺害者」でありました。しかし、彼はブッダ・ゴータマによって教化を受けてより以後は、生きとし生けるものに害意を一切持たない仏教者となりました。その時、かの「殺害者」は一転して「不害者」となったのでした。彼の本当の名前は「アヒムサカ」(不害者という意味)であって、「アングリマーラ」というのは、世の人々が、彼の行いによって彼に与えた名前でした。そしていま彼は、ブッダ・ゴータマによって、「アングリマーラ」であったことをやめて、「アヒムサカ」という名を得ることができました。それが「われはいま真実の名を得て」という所以です。そこにも、彼が新しい自分の生き方によせる感慨を読みとるということができるというものです。


 自らの行いは、いつか必ず返ってくるものです。過去に行ったことは絶対に消えることはありません。では未来はというと、どれだけ未来に望みを託そうとも、すぐに来るわけではありませんし、また、その望みも叶うかといえば、まったくの不明であるといわざるをえません。だからこそ、過去に行ったことの清算(帳尻合わせ)は、現在の自分が必ずしなければなりません。
 では、なぜ自分がしなければならないのかというと、たとえば盗っ人がいたとして、その人が「私が盗んだが、罰を受けるのはいやだから変わってください」といわれて「わかりました」と了承する人がいるでしょうか。逆に「自分でやったことだから自分でその罪は受け取りなさい」となるでしょう。
 このように、過去に行った過ちは、現在の自分が受け取らざるをえないのです。そのことで、どれだけ罵詈雑言をあびせられようが、耐え忍ぶほかありません。むしろ、若いうちにそれをしておかないと、晩年を迎え、力(権力やお金)がなくなったときに、その報いがやってきたらどうでしょうか。悪事を行った年数分が自分に降りかかってくるのです。それはそれは苦しいとしかいいようがありません。だからこそ、ブッダはアングリマーラに対して「忍んで受けるがよい」といっているのです。

 私も過去にたくさん悪いことをして、たくさんの人々に迷惑をかけてしまいました。それを現在いわれることもありますが、真摯にそれを受け取り、同じ過ちを犯さないように気を付けております。未来の自分を作る現在の私は、過去を反省し、未来の自分は善の道を歩んでいるよう、いま努力していかなければならないのです。未来には笑えるように・・・。
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