仏教解説

62 人間としてのブッダ -盗賊への教化- ②

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 ブッダ・ゴータマは、アングリマーラ(鴦堀魔)を従えて、サーヴァッティー(舎衛城)にかえり、その郊外のジェータヴァナ(祇陀林)の精舎に入りました。その姿を見かけた人々の気持ちは、非常に複雑でした。昨日まで人々に怖れられていた盗賊が、今日は羊のようにおとなしくなって、かの師の後についていっているのです。それは人々の心中に感動を与えるに足る出来事でした。しかし考えてみると、彼は決して昨日まで残忍の悪事を重ねてきたあのアングリマーラとまったくの別人というわけではありません。それを思い起こすと、やっぱりぞっと背筋に冷たいものを感じるのです。あの男をあのままにしておいていいのでだろうかと、そう思ってしまうのもまた心というものです。

 コーサラ(拘薩羅)の王パセーナディ(波斯匿)の宮殿の門前には、いつの間にか大勢の人々が集まっていました。彼らは声を張り上げて、口々に王に訴えていいました。

 「大王よ、領内にアングリマーラという盗賊があって、残忍にして殺戮をこととし、人々を殺しては、その指をとって首飾りとした。彼のために村や町の平和はかきみだされてすでに久しい。彼はいまジェータヴァナ(祇陀林)にある。大王よ、かの盗賊を捕えたまえ」

 王の仕事は、民を守り、領内の平和と秩序を維持することを第一とします。そこでパセーナディは五百騎を従えて、ジェータヴァナに赴き、まずブッダ・ゴータマに会いました。いつもと違う王のこわばった顔を見ながら、かの師は、少々ユーモアをまじえて語りかけました。

 「大王よ、おんみはマガダ(摩掲陀)をでも攻めようというのですか。それとも、ヴェーサーリ(毘舎離)をでも撃(う)たんとせられるのか。あるいは、さらに他の王とでも戦わんとするのか」

 「大徳よそうではない。大徳よ。わが領内にアングリマーラという凶悪な盗賊があり、残忍にして殺戮をこととしているという。わたしはその凶賊を捕えようとして来たのである」

 その男があなたのところにかくまわれているそうだが、お出し願いたいという訳です。王もこの日ばかりは必死でした。その時、かの師が王に問うたことばを、お経のことばは次のように綴っています。

 「大王よ、もし彼がいま、鬚髪(しゅはつ)をそりおとし、袈裟(けさ)の衣をまとい、出家せる沙門となって、生けるものを害することをやめ、他人の財貨を盗ることもせず、いつわりを語ることもない持戒者となっているとしたならば、おんみは彼をいかがなされるぞ」

 この王が熱心な仏教者であったことはこれまでにも多々述べてきました。そして、いまこの師の問いは、あきらかに仏教者の精神をもってこの事件を処理すべきことを、パセーナディに要請しているものでした。

 「大徳よ、もしそのようなことであれば、わたしは彼を尊敬し、彼を供養し、彼を保護しなければならぬ。だが、あの極悪無道の盗賊が、どうしてそのような持戒者となる道理があろうか」

 その時ブッダ・ゴータマはおもむろに右手をあげて、かたわらに居並ぶ比丘たちのなかの一人を指さしていいました。

 「大王よ、この比丘がアングリマーラである」

 はっとした思いが王の全身をかけめぐりました。その顔はみるみる蒼白となり、その肌は粟を生じ(恐ろしさなどのために粟粒のようなぼつぼつができること)、その手と足はわなわなと震えていました。かの師はそれを見て、静かに王にいいました。

 「大王よ、恐れることはない、恐れる道理はない」

 なぜならば、そこに坐しているものは、もはやかの極悪無道の盗賊ではなく、ブッダ・ゴータマに従う新参の比丘であったからです。それによって、王はようやく平静を取り戻し、彼に語りかけていいました。

 「尊者よ、なんじがアングリマーラであったか」

 「大王よ、さようであります」

 「尊者よ、どうぞもう安心してください。わたしはこれから、なんじに衣料や飲食などを供養するであろう」

 「大王よ、わたしには三衣があります。わたしはそれで満足であります」

 それは、なんとも不思議な光景でした。兵をひきいて、極悪無道の盗賊を捕えようとやってきた王が、いまは当人と親しげに語り、その供養者となろうといっています。そして、そのような新生(生まれ変わった気持で人生に再出発すること)を可能とするのが、真の宗教というものです。

 やがて王は、ブッダ・ゴータマの前に深々と頭を下げて、申していいました。

 「大徳よ、まことに稀有のことである。世尊は、調伏しがたいものをよく調伏したまい、荒れくるうものをよく静めたもう。大徳よ、われらが武器をもって降伏しえざるものを、世尊は武器なくしてよく降伏したもう」

 それが、その時、この王の偽りのない感慨であったに違いありません。


 以前に盗賊を生業とし、他人のことなどなんとも厭わず、残忍の限りを尽くしてきた人の考えを正反対にしている、それがどれほどのものでしょうか。ただことばだけでいえば大丈夫というわけではありません。その方がこれまで行ってきたもの、つまりはその人が身につけている雰囲気(空気)などがなければなりません。
 例えば、私は増谷先生の書かれた文章を多少わかりやすく(浅学のため間違った解釈をしていることも多々ございますが)書かせていただいておりますが、私の普段の行いを見ている方からすれば、ことばと行いがかけ離れているため、ブッダや増谷先生のおことばをいったとしても、全く違うものとなってしまいます。(素晴らしい人からしてもかけ離れているのですが・・・)

 私も晩年を迎える頃には、少しでも素晴らしい人に近づけるよう、努力してゆきたいものです。
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