日常

美しい花

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 私が仕事をしている職場の前には桜の木があり、それは鮮やかに桜色になります。また、例年であれば桜が綺麗に咲いていても、忙しすぎて顔をあげることすら難しい日々を過ごすのですが、今年はそれほど忙しくなったので、咲いている間(といっても一週間程度でしたが)ゆっくり楽しませていただきました。本当に花は綺麗です。


 心にゆとりや余裕がない時というのは、どうしても小さなことで苛立ってしまったりするものです。その状態というのは非常に人として汚くなってしまいます。花のように綺麗でいたいと思うのであれば、まずは心に余裕を持ち、どんなことをされたとしても問題ない自分を作っておかなければなりません。

 では、どうすればよいのでしょうか。その答えをいつもお世話になっている人たちが教えてくれました。それは、「とにかく流すことだ」ということでした。いうだけなら簡単ですが、いざ実践となると非常に困難なことです。

 理不尽なことばをあびせられて平然とできるかと問われれば、私なら情けないことに「怒ってしまいます」と答えるでしょう。しかし、そのようなことばをいわれて腹が立ち、そこで怒ってしまい、相手に対して厳しいことばをいってしまったとすればどうでしょうか。たとえそれが誰がどう聞いても正論だとしても、ことばに出してしまえば相手に伝わります。伝わった相手は次にどのような行動に出るでしょうか。答えは簡単です。仕返しをしてくるでしょう。ではまた仕返しに仕返しをしたらどうでしょうか。この連鎖は止まることがありません。しかし、これはもっと複雑で、いった本人のみが被害にあうのであればまだよいのですが、こういったケースの場合は必ずといってよいほど、周りにいる人々(同僚や友人や家族)まで被害にあってしまうのです。

 話しを聞く人であれば、話し合いという解決方法もありますが、それが通じない人にとっては、その話し合いですらあげあしをとる材料になってしまうのです。だからこそ、そういう場合は、どのようなことばをいわれたとしても「とにかく流す」というのが最善の方法なのです。大激怒しようがとにかく流す、これができなければ、自分が流せなかったばっかりに周りにいる人々にまで被害にあわせてしまいます。だからこそ、この「流す」というスキルを身につけなければならないのです。


 しかし、勘違いしてはいけないのは、親切(本当の優しさ)で忠告してくださる人の話しは素直に聞き、そのいわれた部分を直していかなければなりません。上記のような人にいわれたことばですら、自分が間違ってやってしまっていることがあれば、それは次にいわれないように直していかなければなりません。

 痛みの伴わない成長はありえません。つまりは、自分にとってなにが良いことなのか、どのようなことが悪いことなのかを明確に知る努力をしなければならないのです。それは非常に痛いことですが、それでも自分のやっていることを客観的に観て、一つ一つ間違いを直していく、そうしているうちに、少しずつかもしれませんが、確実に人間として大きく成長していけるのです。こうなれば、心に余裕が出てきて、多少のことがあったとしても動じなくなります。


 花は美しい、では美しいのは花だけでしょうか。人だって美しい人はいます。それは外見もそうかもしれませんが、中身(心)が純粋で美しい人、このような人こそ、本当の美しい人と呼べるのではないでしょうか。
 私も綺麗な花のように、純粋で綺麗な人間となれるよう、努力していきたいものです。
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