日常

中身がない

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 誕生日(三月四日)の記事はこれで四度目です。さて、どれだけ去年と変わったのでしょうか。


 これよりは、より一層努力をし、責任を持ち、かたいお話をするのではなく、皆さんに覚えていただけるようなお話をさせていただき、また自分と相手の双方が笑い合えるような自分を作っていきたいと思います。
 去年より今年、今年より来年、中々一足飛びでできた人間になることはできません。一歩ずつ一歩ずつ、着実に前進していき、年相応の中身を兼ね備えれるようにがんばっていきたいと思います。(年だけいってて中身がないといわれないように・・・)



 正直ほとんど変わっていませんというのが率直な感想です。「より一層努力」は少ししかできておりませんし、「責任を持」つよう現在日々努力中ですし、「かたいお話しを」ついついしてしまいますし、(話しが長いから)「覚えていただけるようなお話し」はできておりませんし、「双方が笑いあえるような自分」はまだ遠いところにあるように思います。(ツッコミどころしかない困った私です)
 「去年より今年」多少なりとも良くなるように頑張ってきたつもりですが、成長するというのは中々難しいものです。


 最近は、知り合いの方から「いくつになったの」とよく聞かれます。「三十一歳になったのですが、中身がないのに困っております」と苦笑しながらお答えすることもあります。


 どうすれば中身をつけれるのか、また成長できるのかという問いの答えは、自分の心をよく見つめることに徹底すればいいのだということは重々承知しているのですが、客観的に自分のやっていることや、思っていることを見ることは難しいものです。

 「自己と法を洲(しま)とし拠処(よりどころ)として、他を拠処とせずして住するがよい」という自帰依・法帰依(自燈明・法燈明)を語ったブッダ・ゴータマ、また「実の如く自(みずか)らの心を知るなり」とお教えになられたお大師さん、どちらも自分の心を冷静に見つめ正しい自己を確立することを得れば、すぐさま自己が得難き主となるのである、と仰っております。自分の心が正しければ間違いなど起こるはずもありませんから、このことばは当然といわざるをえません。


 目標を高く持つということは、それを達成するために日々小さな目標を立て、それをこなしていかなければ到底達成できるものではありません。どんなに小さくても、一歩ずつ進んで行かなくてはならないのです。チューラ・パンタカ(周利盤特)が箒でもって、自分の心の塵を掃くことを愚直に実践していき、ついには悟りを開いて阿羅漢(聖者)となられました。私も彼のように、いま自分にできることを愚直に努力していこうと思います。(悟るということは難しいですが)


 ただ、一つだけマシになった部分があるらしいです。それは「(極々微少だが)視野が前より広くなった」といってくださいました。以前の視野が狭すぎただけだといってしまえばそれまでですが、しかし、小さな一歩かもしれませんが、なんとかこの一年間後退せずに前に進むことができたみたいです。


 人間は、視野が狭くなると、取るに足らないことで心が揺さぶられ(自分で勝手に揺らしてしまうのですが)て、くだらないことを考え、行動に起こしてしまうものです。もっと視野を広げていき、客観性を持てるよう努力していき、間違った行動をできるだけ起こさないよう、謹んで生活していこうと思います。


 最後に、たくさんの人に祝福していただき、厚く御礼申し上げます。来年は今年よりも多少なりともマシな人間になれるよう、努力してまいりますので、ご指導ご鞭撻の程宜しくお願い申し上げます。
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