仏教解説

52 人間としてのブッダ -婆羅門との会話- ②

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 また別のお経(相応部経典、七、二、「讒謗(ざんぼう)」)には、一人の婆羅門がブッダ・ゴータマのところに怒鳴りこんできたことを記しています。
 いや、怒鳴りこんできたのは、この婆羅門だけではありません。それも、大体は同族の若者がブッダ・ゴータマの教えを聞いて出家したというのを知って怒ってきたのです。それを翻してみれば、この新しい思想家の出現が、彼らにとって何を意味しているのかを、覗うことができます。
 
 それでは、このお経の記している内容を見ていきましょう。
 それは、ブッダ・ゴータマが、ラージャガハ(王舎城)の郊外のヴェールヴァナ(竹林)の精舎に滞在していたときのことですが、そこに、一人の婆羅門が、すごいいきおいで怒鳴りこんできました。お経には、その時の状態を「世尊をはげしき悪語をもって讒謗し非難せり」と記していますが、おそらくは、罵詈讒謗(ばりざんぼう)を嵐のようにブッダにあびせたのでしょう。

 ブッダ・ゴータマは、しばらくのあいだ、それを黙って聞いていましたが、やがて少し静まったところで、彼に向かっていいました。
 「婆羅門よ、なんじの家にも、時には訪れてくる客があるだろう」
 考えもしないことを聞かれて、婆羅門はいささか気勢をそがれた思いで、「もちろんだ」と答えました。続いて
 「婆羅門よ、その場合には、客に食事などを出すこともあるであろうか」
 いつの間にか、対話に誘い込まれてしまった婆羅門は、「ゴータマよ、もちろんのことだ」と答えました。
 「婆羅門よ、では、もしそのような場合、客がそれを辞退したら、そのご馳走はだれのものとなるだろうか」
 「食べて貰えなければ仕方がない。それはまたわたしのものとなるよりほかはあるまい」
 「婆羅門よ、いまなんじは、わたしのまえにいろいろの悪語を並べた。だが、わたしはそれを頂戴しない。したがって、それは、もういちど、なんじのものとなるよりほかはあるまい。婆羅門よ、もしわたしが、なんじに罵られて、罵りかえしたとしたとするならば、それは主と客とが食事をともにするにひとしい。だが、わたしは、いま、そのご馳走はいただかないよ」そういわれて、婆羅門は、ふしぎそうな顔をして問いました。
 「ゴータマよ、あなたは怒るということがないのか」
 その時、ブッダ・ゴータマが、その婆羅門に教えたことばを、お経のことばは、偈文(げもん)をもって、次のように記しています。

 「いかれるものにいかりかえすは
  あしきことを知らねばならぬ
  いかれるものにいかりかえさぬ者は
  二つの勝利をうるのである

  他人のいかれるを知りて
  正念におのれをしずめる者は
  よくおのれに勝つとともに
  また他人に勝てるものである」

 ここでもまた、このように教えられた婆羅門は、ブッダ・ゴータマのもとにおいて出家し、やがて阿羅漢(聖者)の一人となったというのがお経の最後に記されています。

  また別のお経(雑阿含経、四二、一〇、「瞋罵」)によれば、一人の婆羅門は、路上の土をとってブッダ・ゴータマに投げたということもあったそうでした。

 それは、この人が、サーヴァッティー(舎衛城)の郊外、プッバーラーマ(東園)のミガーラマーダ(鹿子母)の講堂にとどまっていた時のことであるが、ある朝、例によって托鉢のために、サーヴァッティーの町にむかう途中で、一人の怒っている婆羅門に出会いました。彼も、同族の若者がブッダ・ゴータマのもとにいったことを快く思っていなかったのです。そして、たまたま路上でブッダに出会ったので、怒り心頭していた彼は、何やらわめき叫ぶと、そのあたりの土を拾って、ブッダ・ゴータマに向かって投げたそうです。

 しかし、その時に、一陣の逆風が吹いていきて、土ぼこりはその婆羅門へとかえっていきました。そして彼は慌てふためいて顔を覆いました。その耳に、静かな透き通ったブッダ・ゴータマの声が聞こえてきました。それを、経典に偈文として次のように記しとどめています。
 「人もし邪念なきものを害し
  清浄にして汚れなきものをけがさば
  その悪はかえってその人にかえる
  あたかも風にさからって投ぜられし土くれのごとく」
 婆羅門は、その場において、自分がやった行為を謝り、ブッダの教えを感謝して帰っていったといいます。
 これは、非常に短く、行数にしていえば十数行にすぎないお経の記述です。そして、その出来事もまた、托鉢の途中の一瞬のことにすぎませんでした。しかし、その事件と、その時のブッダ・ゴータマのことばは、この師に従う人々にとって、忘れがたいものであったものでしょう。
 ここに記した偈文は、さらに「ダンマパダ」(法句経)の第一二五偈に移し編纂(へんさん)され、それをいつまでも唱えられて、今日にまでおよんでいるのです。


 確かにブッダ・ゴータマのいわれることばの通りですが、はたして簡単にできるでしょうか。「人間は感情の動物である」というのは誰もがご存知の事だと思います。自分が当事者となったとき、冷静に適格に言葉少なく、しかも相手を怒らせずにこちらの意見を相手が納得できるようにいえるかというと、非常に難しいとしかいいようがありません。しかし、罵詈雑言などのことばを受けても、冷静さを失わないようにできるだけしていきたいと思うのです。それには並大抵の努力ではかなわないでしょうが、できるかぎり頑張っていかなければならないのではないでしょうか。
 晩年を迎えたころには、ブッダにほんの少しでも近づけるよう努力していきたいです。
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