仏教解説

50 人間としてのブッダ -遊行- ③

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 「いったい、あなたが耕すというのは、どういうことであるか」


 そこで、ブッダは、さきほどのいった意味を静かに語り始めます。人間が耕さなければならないものは大地ばかりではないということを。人間はまた、人間じしんを耕さなければならないということを。そして、人間が人間じしんを耕すには、智慧をもって鋤となすのがよいということを。智慧を鋤としたところには、信という種子をまくのがよいということを。信の種子をまいたならば、次はよく心して草とりをしなければならないということを。身・口・意の三業において、よく悪業を制するのが、この人間耕作の仕事における除草であることを。

 家の主人は、ようやくブッダのいっていた意味を理解しはじめる。彼の顔色は、しだいにその険しさがとけて、明るくなっていきました。
 ブッダ・ゴータマのことばはさらに次のように続きます。


 「そうだ、わたしの牽(ひ)く牛は、精進という牛である。この牛は、行いて帰ることを知らず、まっすぐに、私たちを心が安らぐ境地へはこぶ。
  わたしが耕すというのは、このような耕耘(こううん)をいうのであって、そこで収穫するのは、甘露の果である。それを食することによって、人は、一切の苦から自由になることができるのだ」

 それを経典のことばは、おおよそ、次のような韻文をもって記しとどめている。


 「智慧はわが耕す鋤にして
  信はわが蒔く種子である
  身口意において悪業をのぞくは
  わが田における草とりである
  精進はわがひく牛にして
  そは行いて退くことなく
  おこないて悲しむことなく
  われを安らけき境地に運ぶ
  かくのごときわが耕耘にして
  その収穫を甘露の果となす
  人はかかる耕耘をおこないて
  一切の苦を解脱するのである」


 これは、すばらしい説法としかいいようがありません。そこには、仏教の全貌と本質とが、非常に分かりやすく、それでいて具体的に語られています。それをブッダ・ゴータマは、耕耘を生業とする者の詰問の前に立って、すぐさまその場で語られました。まさに、対機説法の典型的なケースです。

 また、いうまでもないことですが、この説法を聞いた家のあるじは、その場より終世変わることのない在家の帰依者となったと、「耕田」(相応部経典、七、一一。漢訳同本、雑阿含経、四、一一、「耕田」)とよばれるお経に記されています。


 私は対機説法ということばを漠然としか知らなかったのですが、これを見れば一目瞭然です。目の前の人に対して仏教のことばを使うのではなく、その人の生業で仏教を説く、これこそが対機説法だったのです。それがブッダはどの人の前だとしても、的確にその人に合った法を説かれ続けました。
 仏教を信じる人に対して、お経や先生方のことばを用いておはなしすれば、よほど話し手が間違ったことをいわない限り納得してくださいます。しかし、たとえば上記の家のあるじのように、「あなたはなにをやっているのだ」といった詰問をしてくる人に対してはどうかといえば、非常に難しいといわざるをえません。このような人に対して、その人の分かることばでもって仏教を説いていき、納得してもらえるようにしなければならないのです。

 このブッダのおことばを見るたびに、話し手となる私は非常に堪えるのです。
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