仏教解説

42 人間としてのブッダ -縁起説法- ③

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 続いて取り上げるのは「縁」(相応部経典、一二、二〇)と題されるお経です。これもまた、ブッダ・ゴータマが、サーヴァッティー(舎衛城)の南郊、ジェータヴァナ(祇陀林)の精舎に滞在していたころの説法でした。前に出てきたお経と同じく、比丘たちだけを対象とした、かなり高度な講義のようなものでした。

 「比丘たちよ、われはいま汝らのために、縁起および縁生の法について語ろう。汝らは、それをよく聞いて、よく思念するがよい」
 ここでは、縁起の法が講義の題名として取り上げられています。そのことばの後に、比丘たちは、「大徳よ、畏(かしこ)まりました」と答えた比丘たちは、おそらく緊張していたに違いありません。すると、ブッダは次のように説かれました。
 「比丘たちよ、縁起とはなんであろうか。比丘たちよ、生あるによりて老死ぬがある。このことは、わたしが現れようが、もしくは現われまいが、もともと定まったことである。法として定まったことであり、法として確立していることである。すべては相依って存しているのである。わたしはそれを悟った。それを知った。それを悟り、それを知って、教え示し、宣(の)べつたえ、あるいは詳説し、あるいは開顕(かいけん)し、あるいは分別して、それを明らかにし、そして、〈汝らも見よ〉というのである」

 この短い説明のなかにも、注意して見ると大事なことが二つ語られています。まず一つ目は、縁起の法を悟ったという、その悟りの構造について語られたのです。「このことは、わたしが現れようが、もしくは現れまいが、もともと定まったことである」以下がそれです。ブッダ・ゴータマがこの世に出てくる、または出てこないというものに関係なく、存在の法則はもともと定まったものであるといっておられるのです。では、それに対してブッダ・ゴータマの役割はなんでしょうか。あの樹下において大覚を成就されたというのは、いったい何を意味しているのでしょうか。それは、ブッダ・ゴータマがその法則を作ったわけではありませんし、彼が啓示をうけたというようなこともありません。また、どこからかそのような法則をもたらしたということでもありませんでした。ブッダ・ゴータマは、ただそれと気づき、その法則を知っただけです。文字通り、それを「悟った」のです。それが悟りの真相なのです。

 しかし、この世にあって、はじめてそれを悟ったブッダ・ゴータマにとっては、もう少し果たさなければならない役割がありました。「それを悟り、それを知って、教え示し、宣べつたえ」以下の文がこのことを語っています。この縁起の法というものを、人間の思想として整理し、それを人間の問題に適合し、加えて、宣べ伝えて人々に教えることが先に出した役割でした。つまりは説法であり、伝道であって、それが成道の後におけるブッダ・ゴータマの四十五年にわたる事業となりました。

 二つ目に大事なことは、非常に短い言葉で、さらりと述べられています。「すべては相依って存している」というのがそのことであり、もっと原文に即して訳すると、「すなわち相依性なり」となります。これは、縁起の法の内包を語ったことばだったのです。

 「縁起」という言葉は、意味を調べていくと面白い言葉です。それは「条件」もしくは「よりて」ということばと、「起こること」ということばが結ばれてできたことばであって、何かしらの条件があって、それによって起こるという意味を含んだことばです。それを中国の訳経者たちが、「条件」もしくは「よりて」に「縁」を当て、「起こること」を「起」として、「縁起」という訳語を造ったのです。

 しかし、もっと興味をそそられることは、この法則を悟った際、ブッダ・ゴータマの心中はどのようなイメージを描いていたのだろうかということです。「当の本人ではないから解るはずがない」と、すぐ諦めてしまうのは早すぎるのです。経典の記しているところを読んでいると、ブッダがその心中に描くところも、おぼろげではありますが見えてくるのです。以前に「縁起の公式」ということばを用いて説明していたものの中にその答えはあります。それを「ウダーナ」(自説経)の記しているのを見てみると、
 「これあるによりて、これあり。これ生ずるによりてこれ生ず」
 であり、また
 「これなきによりてこれなし。これ滅するによりてこれ滅す」
 ということになるのですが、いま見ているお経においては、さらに抽象にして、「すなわち相依性なり」と語っているのです。他に依るところがない状態でも、無制約的に存するものを、今日の哲学的述語は「絶対者」ということばによって表現されますが、この〈一切〉の世界には、そのような存在は一つとしてありえません。すべては相依り、相関わって存しているのです。ブッダによって把握された存在の真相はこのようなものでした。それがここに、「相依性なり」と語られている所以なのです。


 さて、これまでにブッダ・ゴータマの「縁起説法」の中から、理論的構造を語ったお経を見てきましたが、このような説法を記している経典は非常に少ないのです。では、いったいブッダその人の精神的傾向はどうであったかというならば、これは疑う余地もなく、強い理論的傾向をもった人でした。今日のことばでいうならば、この人の本来の精神的傾向は、おそらく哲学者であると言い切っても問題ありません。縁起の理論的構造がよくそのことを示しています。ではなぜ、縁起に関する説法のなかにも、その理論的構造を語ったものが少ないのはどうしてでしょうか。それは他でもありません。当時の人々が、ブッダの説く教えを理解することができなかったからです。そのことを理解するために思い出していただきたいことは、以前に書かせていただいた通り、ブッダ・ゴータマが伝道を決意するまでの消息のなかに、この教えが非常に難解であって、その理解に堪えれる人は少ないであろうということが、繰り返し語られているからです。その例として、もう一つ、サーリプッタ(舎利弗)とマハー・コッティタ(魔訶拘絺羅)という比丘との問答を記したお経を見てみましょう。

 それは、この二人がバーラーナシー(波羅捺)の郊外の、イシパタナ・ミガダーヤ(仙人住処・鹿野苑)の精舎にとどまっていた時のことでした。マハー・コッティタは、夕暮れちかいころ、サーリプッタの舎を訪ねてきて、この俊才にいろいろの質問をして、教えを乞うたのです。
 お経に記されているものは、その質問は主として、縁起に関するものであったそうです。しかし、マハー・コッティタの理解力では、どうしても、サーリプッタの語ることが分からず、ついていくことができなかったそうです。とうとう、彼は、「それをどう理解したらよいか」と悲鳴をあげました。その時、サーリプッタが彼のために語ったことばを、お経のことばは次のように記しています。
 「友よ、しからば、譬えをもって説こう。友よ、たとえば、二つの葦束はたがいに相依りて立つ。友よ、もしその一つをとりされば、他もまた倒れるであろう」
 と。「葦束」(相応部経典、一二、六七)とよばれるお経の記してあることばです。


 このように見ていくと、普段私たちが使っている「縁起」ということばの本来の意味が分かります。私たちは自分だけで生きているわけではありません。それは私たちだけではなく、自然のものも、他の生物にしろ、どれをとっても相依らずに存在することはできないのです。しかし、これに気づくには、どこまでも冷静であり、あるがままの現実を直視できる人でなければ、おそらく無理だったことでしょう。また、ブッダの説法のみでは理解できなかったところを、サーリプッタがマハー・コッティタに「葦束」のたとえによって、理解させることを可能とされました。きっと、他の理解できなかった人々にも、同じようなたとえによって説かれてきたのでしょう。これによってどれほどの人々が救われたことかはいうまでもありません。私もこのような宗教者に近づけるよう、努力していこうと思います。
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